#117 / 留辺蘂 塩別つるつる温泉裏にある龍神の祠

留辺蘂 塩別つるつる温泉裏にある龍神の祠

住所
北見市留辺蘂町滝の湯201
緯度、経度
43.738340, 143.420382
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

調査中

参考資料・情報など
現地確認状況
2019/05/01 確認済
その他

北見市留辺蘂 無加川にある龍神岩 から国道39号線に戻って数分で着くことができた。 日帰り入浴もやっていない早朝ついてしまったので、祠を見るだけにとどめる。つるつるしたかった。 駐車場からよく見える場所に目的の祠があった。 冬の積雪期のためだろうか、祠の近くには鉄の細い目印になりそうな柱が2本立っている。 小ぶりな祠の中には道東では二つ目の蛇紋石が飾られている。これがご神体のようだ。 こじんまりしているが普段から手入れされていることがわかる。 祠の裏には小川が流れている。 温泉がある建物側には「成田山塩別不動講」の日よけテントがある。

駐車場から見て、右手奥には一層立派な建物が見える。 塩別不動尊であり、その由来が入り口の看板に掲げられていた。 要約すると、次のとおりである。

「大正15年に方が大やけどを負い、塩別温泉のお湯で怪我を癒すことができた。 そこでお不動尊の霊験に感謝し、昭和8年に不動明王を町内の彫士に依頼し木像を作成し塩別温泉旅館裏に祠を作り祀った。 昭和37年には祠の老朽化などにより、現在の場所に遷し祀ったものである。」

地域の人たちの心の支えとして今なお厚く信仰されている、郷土に根付いた宿根草のような物語と受け止めた。

ここから斜里に向かう道すがら、 美幌神社 龍神社 に向かった。1時間ほどの道のり。窓を全開にしてのんびり車を走らせる。

AMラジオからは即位する天皇陛下の声が聞こえてきた。 その声が聞こえたタイミングで道路わきに名もなき社が現れた。 車をとめ、朽ちそうな鳥居をくぐって一礼した。 遠く東京の天皇の声はここにまで届いていた。 かつての人々もその声を聞きたくてここに社を建てたのだろうか。 とりとめないことを考えた。 再び車に戻って天皇の言葉の続きを聞いた。 平成天皇が使っていた「祈り」、ではなく令和天皇は「願い」という言葉を用いている。 そこに両者の違い、スタンスを読み取ることができると解説していた。 昨年、大正生まれで戦争を経験した祖父が他界した。そのアルバムが数冊、自分の手元にある。 今一度、その歴史を振り返らなければならないタイミングのかもしれない。

2019/05/01 場所も名前も定かではない小さな社

(2019/05/27)


2023/7/9に再訪問した。 斜里からの帰り道、屈斜路湖の後で立ち寄った。ローソク岩の後に寄ったのだが、その日は30度を超える猛暑で体力もヘロヘロ。前日の疲れもあり、早朝4時出発の眠気もあって、休憩も兼ねて日帰り入浴を選択。

受付で応対してくれた女性に、ダメもとで蛇紋岩の由来を尋ねてみた。すると、温泉の関係者が祀ったものだと教えてくれた。蛇だと気持ち悪がる人もいるから龍神として祀っているという。

シンプルな由来を聞いて、すっかり満足して深掘りするのも忘れて、入浴後、エアコンの前で涼みながら旅の疲れを癒した。

(2022/08/9)

更新履歴
2019/05/27 そのほか追記、写真掲載
2016/10/01 記載
2019/05/01
2019/05/01
2019/05/01
2019/05/01
2019/05/01
2019/05/01
2019/05/01
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