#244 / 西興部 行者の滝

西興部 行者の滝

住所
〒098-1424 北海道紋別郡西興部村奥興部
緯度、経度
44.381237, 142.833327
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来1

行者の滝の縁起

滝にうたれ不治の病い全快

西興部



氷のトンネルが存在する西興部村に、”行者の滝”と言う名物の滝がある。この滝は白装束の娘行者が、病気が治るようにと願って打たれたところからついた名であるとう。

行者の滝は上興部市街から二キロほど走って「行者の滝入り口」の標識から奥興部本流道路をどこまでも行くと竜神橋、その先に行者橋という橋がある。この辺りは千古の樹林が山合いを埋め尽くし、その一角に黒々とした岩肌を縫って清流が音を立てて流れており、霊厳な世界をかもし出している。

行者の滝の縁起は上興部の妙覚寺に伝えられている。

この滝を発見したのは名寄の法華寺の開山・森角英進上人である。霊夢はこの書物にも随所に出てくるが、彼も明治二十年代に上興部の山中深く霊滝があるのを知らされ、滝の存在を確認する。

ここに堀口英寿と言う女性がいた。彼女は八歳の時にらい病にかかり、医師の治療を繰り返すが、ついに不治の病と宣言される。父親はひとり娘の行く末を案じ、かねて信仰していた法華寺の森角住職に相談する。住職は、

「ならば上興部の山中で修行したらよかろう」

と薦める。明治四十三年、英寿はすでに二十二歳になっていた。

若い永寿はただ一人山に籠り、白装束に身を固めて二十一間にわたり滝にうたれつつ一心不乱に祈り続けた。

永寿は明治四十五年にもここに籠って荒業を行う。この真摯な祈りが天に通じたのか、身体は目に見えてよくなり、不治の病といわれた病気は完全に克服されたのだった。永寿は尼僧になり、我がわが病を癒してくれたのは竜神のご加護と信じて、旭川市西神楽に妙寿寺をひらき、仏に仕えて生涯をおくった。

この霊験を知った上興部・妙覚寺の佐藤英光住職は、後世までもこの滝の霊場を伝えようと、滝の発見者である名寄・法華寺の二代目、森角英俊住職、旭川東旭川・妙静寺の山本妙静住職らと図ったが、果たせないままに時は過ぎた。

英尼僧は昭和四十五年、仏に身守られて天寿をまっとうしてなくなるが、それからほどなく妙静寺の尼僧は不思議な夢を見る。英寿が霊となって現れ、行者の滝に妙覚寺の守護神である竜神を、法華経により新たに白法竜神として奉るようにと告げたのである。

妙静尼は同門の住職に呼びかけて行者の滝に宝塔を建立しようと奔走し、翌四十六年七月、立派な軟妙法蓮華経の塔が建ったのである。

祭礼の日になると五百人を超える信者が集まり、竜神にとどけとばかり届けとばかり読経を唱和する。読経はこだまとなって樹林にひろがってゆく。信仰の壮烈さをあざまざと見て身のひきしまる思いがする。

(299-300頁)

合田一道「北海道ふしぎふしぎ物語」
参考資料・情報など
合田一道「北海道ふしぎふしぎ物語」
合田一道「北海道ふしぎふしぎ物語」1982/3 玄洋社
現地確認状況
未確認
その他

更新履歴
2022/09/17 記載
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