函館市 穴澗龍神社
調査中
朝からナビを頼りに海岸を目指す。連休とあって観光地を歩く人たちが多く目につき、走っている車のナンバーも多様に感じる。 外人墓地の看板を目にしながら、徐々に漁村だったであろう車一台通るのがやっとの路地を進む。 何度か対向車とすれ違うために停止しながら、舗装路が途切れて行き止まり、海岸沿いに到着する。 先行者の車が2台、一人は観光客のよう、もう一台は釣りの車だった。後から言葉を交わすと、初めてこの場所で釣りをするというが、警察が来て怒られないか気にしていた。 自分もこの場所が初めてなので警察に怒られるかどうかわからないと伝えつつ、澄んだ海に釣り糸を垂らすと大物が釣れそうな気がした。
穴澗海岸はごつごつした岩で満たされている景勝地だった。柱状節理が聳え立ちそれが崩れて海岸線を埋め尽くし、美しい海がその先に広がっている。 目指す龍神社への道は海岸線の突き当りにあるはず、石の上を300mほど歩く。突き当りの壁に人一人が通れる穴が開いている。その先に行きたい気持ちを我慢して、 踏み跡が着いている道を上に向かう。途中、急な道にはロープや木の階段が設置されている。 すぐに神社に着くと高をくくっていたが、なかなか神社に到着しない。急な登り道に汗がにじむ。この日は湿度が高かった。 海岸沿いで涼しく虫もいないと思っていたが、この後蚊に追い回されて、顔を含めて数か所刺されてしまった。海岸沿いとはいえ、山に入る際には虫よけがあったほうが良い場所でした。
かなり上ったといっても10数分して鳥居が見えて神社に到着。反対側には穴澗要塞跡が目に入る。 神社はしっかりと祠を囲む柵に鍵がかかっている。詳しいことはそこから読み取れなかったが、 小樽祝津の赤岩の場所にも似た霊場の雰囲気も感じる静謐なばしょだった。 手入れが行き届いていることから、地元の人に大切にされていることが伝わる。 祠の右手には獣道のような細い道が続いており、さらに上に行けるようだったが、少し登ってみて先の長さにこの日は先に進むのをやめる。 撮影をして、先ほどの分かれ道まで戻って要塞跡を数か所確認する。 緻密に積まれた石やレンガから、その場所が要塞として重要な場所だったことがわかる。 津軽要塞という戦争遺跡がこのような形で、函館山という観光地の一角に残っていることに驚く。 ここを実際に使用した時代が再び乙津れることのないように、戦争という悲劇を繰り返さぬようにせねばならない。 遠い日を浅い知識で想像して、一礼して場所を去った。
下に降りてから、海岸線をかつて集落があったという先に向かって歩いてみる。 先ほどの青年がちょうど釣り糸を垂らし始めたところだった。 吊り橋だった場所で行き止まり。 人の手によって断崖に作られた道はまだしっかりとその名残を残していた。 いつの間にかTシャツは汗だくになっていた。
2020/12/19
Hさんに穴間龍神社は函館の亀田龍神社が管理している兼務社とのことだった。 これまで手がかりがなかっただけに嬉しい。函館方面に行く時に忘れず話を聞きに行きたい。