稚内市 アイヌの白蛇神
稚内市大字宗谷第二清兵 故柏木 べん刀自談
旧蝦夷地も北の涯に近く、宗谷海峡が氷潮(ひじお)をたぎり立たせておろうあたりに、純系宗谷アイヌのお方がたったお一人、お生き遣りになっていて、しかも、そのお方が、現に八十二歳を数えられる老刀自だと某氏の記事で知ったとき、私の胸はきびしく時めいた。刀自を私が、単身吹雪を衡いてお訪ねしたのは、それから間もなく昭和三十六年の新春がそろそろ近付くころだったが、その年頭にかけて、刀自がこの風来坊のような調査者にことの外おやさしく、毎夜深更に及ぶまでもお話を収めようとなさらなかったのは、ご令息夫人のお心づくしと共に、今も思いおこすそのたびごと、私の胸を言いようもなく熱くする。
刀自はその年の八月、不帰のお旅にお立ちだった。ああ、合掌。
白蛇神のこと
蛇一般はタンネ・カムィ(長い神)とか、ムン・ドゥムン・カムィ(草むら神)とか呼ばれていたが、その中には黒蛇(クンネ・オ・タンネ・カムィ)、草色蛇(フゥ・キナ・トゥムン・クル)、赤蛇(フゥレ・タンネ・カムィ)もいるが、霊媒(フゥ・キナ・トゥムン・ギェ・カムィ)としての白蛇神(レタラ・タンネ・カムィ)もいる事に注目したい。
霊媒がその白蛇神を身に授かろうとする場合、蛇はその兜をやぶって、半分身をもたげた威容をもってやって来ると信じられた。そして蛇神は、その前で自らの兜を落とすと、草むらの中に潜ってしまう。その兜をその人は拾って自宅に持ち帰り、それまでの自分の枕と一緒に蔵って置き、夜ごとそのどちらもを「自分と一緒に並べて寝」(シサム・オマレワ・モコロ)、朝は早起きして人の目に付かぬ暗い内に片付ける(クンネワノ・ホボネコ・エウベカレ)を要した。
私の叔父はかつて白蛇を見付けて殺したところ、その晩、酒を飲むと、頭が痛い、背中が痛むので、大変な苦しみようをした。これは、白蛇神の祟り(バレトコワ)で、彼は苦しみの末それに気付くと、来幣(イナゥ)を削り立てて、それに向かって神祈祷(カムィ・ノミ)し、白蛇の亡霊にその身から離れてもらうべく、ひらあやまりにあやまった。そして、その効があった。
早川昇「アイヌの民俗」1970 岩崎美術社
○神仲間(カムィ・ウタラ)のこと
アィヌは多神教を信じてるなどと言う人があるが、しかし、この味気ない世界のどんなものでも神(カムィ)と呼んできたのではない。たとえば、獺(エサマン)などは決して、エサマン・カムィとは呼ばれなかった。
だが、カムィではないという事は、そのものが魂(ラマチ、敬意をこめては、ラマトゥフ)を有してないという事ではない。ラマトゥフは、この世のありとあらゆるものの内に在り、いにしえから滅びる事なく、将来も無限に生き遣るもので、それこそがものに生きの働きあらしめる根原の力だと見られたと思う。
そのラマトゥフをして生動せしめたものが何かと言うことになれば、それはやはりカムィだろうって考えられない事もないけれども、昔の同族人は、そこまで突き詰めては考えなかったようだ。
宗谷村のこの辺で一番祭られてきたカムィはと言えば、火姥神(アペ・フチ)の外では、レブン・カムィ(沖・神)と呼ばれた鯱と、キムン・ガム ィあるいはカムィとも呼ばれた熊と、山瀬に臨んでいるシマ・カムィ(石・神)と呼ばた奇石であろうか。
その他の主な神々としては、
水神(ワッカ・ウス・カムィ)
井神(スンブィ・コロ・カムィ)
川神(ペトゥ・コロ・カムィ)
魚神(セバッテ・カムィ)sebatte<sep-atte(魚をふやして寄越す)
狐神(チロンヌプ・カムィ、あるいはスマリ・カムィ)
鹿神(ユク・カムィ)
狼神(ウォーセ・カムィ)
蛇神(フンゴック・カムィ)
等がすぐと念頭に浮かぶ。
早川昇「アイヌの民俗」1970 岩崎美術社