アイヌ人に「神の石」(シュマカムイ)と呼ばれ信仰の対象となっていた。黒岩に竜神を見たという話もある
黒岩の伝説 そのⅠ 八雲市街地周辺は、昔ユーラップといったが、ここのコタン(集落)は、室蘭に居た人たちが来たのであるという。その移住のときにちょうど駒ヶ岳が噴火して、降灰のため舟が進まなくなってしまった。そこでコタンの長は神々に酒を上げ、無事に目的地に着けるよう祈ったところ、急に何者かが一同の乗っている舟を背負って走り出した。しかし、あまり早くて舟がひどく揺れ、転覆しそうになったのでまた祈ったところ、今度は静かな者に肩を替えてくれたので、揺れることなく無事に黒岩に着いた。それから神の使いによって無事に着いた黒岩の地を尊いものにしたという。(高倉新一郎輯)
もう、一説には、
サル(沙流)に、男兄弟六人と女の姉妹六人の、宝物をたくさん持ったアイヌの兄弟たちが住んでいた。ずいぶん勢力のあった家だったが、村のアイヌたちはこの家をねたみ、ことごとく兄弟たちに意地悪をし、敵にしていた。
このため兄弟たちは、サルに居づらくなって旅に出、舟で室蘭に来たとき、一番上の姉は室蘭の男と結婚した。残りの一一人の兄弟たちが室蘭から舟出したとき、駒ヶ岳が噴火してたくさんの軽石が湾内に流れ出し、舟は全く動くことができなくなってしまった。兄弟たちは力を合わせて一生懸命に舟を押したが、結局どうにもならなかった。そこで一番上の兄が、男のカミギリ(海の神)に祈ったところ、鯨が出て来て先立ちし案内を始めたが、潮が早くて舟を操ることができなかった。次に二番目の兄が女のカミギリ(海の神)に祈ったところ、女の鯨が出て来て今度はうまく舟を動かすことができた。そしてポンシラルカに舟を着けてここに住むようになった。ポンシラルカとはシラルカ川(黒岩)の南の方にある小さな川の辺りで、シラルカとは岩を意味し、黒岩のことをシラルカという。シラルカに対するポンシラルカは、小さな岩を指したものである。
(都築重雄「八雲の地名と伝説」ゆうらふ六号)
黒岩の伝説 そのⅡ 黒岩は昔ルクチといったいそで、ここに大きな黒い岩があるので、和人が黒いわというようになった。
昔トイマコタン(遠い異国)のアイヌたちが、サントミ(軍勢)をまとめて舟でここのコタン(集落)に夜討ちをかけてきた。いよいよ岸に近寄って上陸しようとすると、目の前にたくさんのアイヌがたむろしているのに驚き、われ先にと舟をこいで逃げ去り、コタンは何の被害も受けなかった。トイマコタンの連中が敵と見たのは、実はルクチの黒岩の姿であった。このためアイヌたちは、コタンを守ってくれるシュマカムイ(石神)として崇拝し、イナウ(木幣)を祭って礼拝したという。(菅江真澄「蝦夷廼天布利」)
大正時代、黒岩の海岸を通りかかった一人の女性が、――岩の上に立つ竜神を見た――といううわさが広がり、地域の人びとは大漁や海難防止を祈願しようとして、昭和初期に岩の周囲にさくを設け、小さなほこらを建てて御神体を安置した。しかし、この岩は波をかぶるためにほこらの損傷が激しく、黒岩神社に移した御神体を除いて跡形もなく波にさらわれてしまった。昭和四八年、住民によって再建計画が立てられ、岩の上に赤い鳥居とほこらが設けられ、それを結ぶ橋やあずま屋なども建てて入魂式が行われた。
八雲町史編さん委員会「改訂 八雲町史 下巻」1981 八雲町長 牧野貞一
黒岩 地名。
①山越郡八雲町内。海岸にある黒い岩をアイヌがクンネシュマ<黒い岩>といい、そのまま訳したという。ここには、昔、元室蘭(地名)にいたアイヌが移住したと伝えられ、そのとき駒ヶ岳の噴火による降灰で舟が進まず、酋長が神に祈ると何者かが舟をかついで走り出し、あまりゆれるのでまた祈ると、今度は静かにかついでくれて無事に着いたという伝説がある。
南北海道史研究会編「函館・道南大辞典」1985 株式会社国書刊行会
八雲の奥、渡島と檜山の境をする遊楽部岳に、その巨鳥フリーがいたという。八雲の北、長万部よりの国縫にも川上の洞窟にフリーがいて、ときどき人里に現れると雨雲のように空を覆い暗くするので、クネネナイ(暗い川)と呼ぶようになったというが、いずれも地名の解釈に付随された伝説である。
八雲と国縫との間に黒岩というところがあり、この海岸に黒い岩石が聳立していて、アイヌ語でこれをシュマカムイ(石神)と呼んでいる。異国の軍勢が夜討ちをかけて来たときに、岸に上陸しようとすると、目の前に多くの軍勢が待ち構えているので、仰天して逃げてしまった。それ以来、村の守り神として礼拝するのであると。
更科源蔵 安藤美紀夫『日本の伝説(第Ⅱ期)全12巻 17 北海道の伝説』1977 角川書店
黒岩の石神
八雲町黒岩は昔ルクチ(ルコッか)といった磯で、ここに大きな黒い岩があるので日本人が黒岩というようになったが、昔トイマコタン(遠い国)のアイヌ共が軍勢をまとめて、舟でここの部落に夜討をかけて来て、いよいよ岸に近寄って上陸しようとすると、目の前にたくさんのアイヌ共が屯(たむろ)しているのに吃驚(びっくり)して、我先にと舟を漕いで逃げ去ったので、部落は何の被害も受けることがなかった。トイマコタンの連中が敵とみたのは、実はルクチの黒岩の姿だったので、アイヌ達は部落を守ってくれた石神として崇拝し、ここに木幣をあげて礼拝したという。(菅江真澄「蝦夷逎天布利(えぞのてぶり)」
更科源蔵「アイヌ伝説集」1976 みやま書房
黒岩の竜神の怪
岩にとぐろ巻いた竜
八雲
八雲町黒岩の海岸に怪奇な岩場が望まれる。見るからにおどろおどろしい風情だけに昔からいくたの伝説があるらしく、地元の人たちは岩場に竜神を奉って祈願している。
アイヌに伝わる神話は次のようなものだ。「アイヌ伝説集」(更科源蔵著)から。
ここの黒岩のコタンは元室蘭から移住した人たちによってできたのだという。
それは舟でこの近くまできた時、突然、駒ヶ岳が爆発して真っ黒い灰が降ってきた。首長はおののいて神々に酒を供えて無事に目的地へ着けるように祈った。ところが急に何者かが乗っていた船を持ち上げ、背負って走り出し、無事に黒岩へ着くことができたという。
人々は神の使者によってこの地までこれたことを感謝し、黒岩の血を尊い神の地として崇めた。
もうひとつ。遠い国のアイヌ勢が船でこのコタンを夜襲してきた。いよいよ岸に近づき上陸しようとして目前を見ると大勢の軍勢が待ち構えている。慌ててわれ先にと舟を漕いで逃げ去った。
彼らが軍勢と見たのは実に黒々とそびえたつ黒岩だった。人々はそれ以来、この岩をシュマカムイーー石の神と崇拝したという。
龍神さまが現れるのは大正に入ってから。ひとりの婦人がこのちを通りかかったところ黒岩の岩肌に凄まじい形相の龍がとぐろを巻いてうずくまっていた。らんらんと光る眼、燃えるような舌。婦人はわなわなと身を震わせてその場に倒れてしまった。
この竜神の噂はまたたく間に小さな集落を包み込んだ。人々は竜神さまが岩場にいてこの集落をお守りしてくれるのだ、と信じて黒岩の周りに柵を設け、中央に祠を建ててご神体を奉理、大漁と海難防止を願ったのである。
だが、このあたりは波が荒く少しでもシケると大波が黒岩をザブンザブンと洗い、祠の痛みが激しいので、困惑した集落の人たちはご神体だけを海のよく見える黒岩神社に移し、毎年八月二十日の恵比寿さまの日、つまり海の神の日に祭礼を行うようになったのである。
やがて大波によって祠は持ち去られてしまったが、この土地の竜神信仰は根強く、昭和四十八年になって住民の間から再建の声が出て、祠、鳥居、橋、あずまやなどが建てられ、美しく甦った。
国道5号線沿いに望まれる黒岩はいかにも不気味な印象で、見ようによってはたしかに竜がのたうちまわっているようにもとれて近づきがたい。
街の人の話ではこのあたりはよく魚が釣れるが、たそがれてくるとなぜか恐ろしい雰囲気が漂うので、誰もがそこそこに釣具を片づけて逃げるようにして帰っていく、と言うことだった。
(190−192)
合田一道「北海道ふしぎふしぎ物語」