#133 / 稚内 岬神社

船の錨にひっかかった大きな丸い石を竜神様の御加護による奇石として祀ったことに始まる神社

住所
稚内市ノシャップ2丁目375番地
緯度、経度
45.446785, 141.648706
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

岬神社

祭神大綿津見大神であり、その創始は確実には知られていないが、柏屋藤野喜兵衛が宗谷場所を請け負っていた文化年間と伝えられ、付近住民の尊敬の念も厚い。現在でも野寒布岬を交わす船舶は、そこが遠浅であって日本海とオホーツク海のまじわりの影響もある難所としているが、文化年間当時も松前、江差あたりから西海岸ぞいにやって来る宗谷沿いの船には、ここが最大の危険海域になっていた。あるとき、柏屋の持船が野寒布岬で大時化にあい、やむなく数本の錨を投じて沖がかりをしていると、張りつめた錨綱が一本、二本と切れ、ついに最後の一本を残すのみとなり、船頭某が岬に向かい、竜神に安全を祈願すること三日二夜、その祈りが通じてか、船体も乗組員も無事に凪をむかえ、危機を脱することができたとの伝説があり、しかも命綱となった錨を揚げてみると、錨のツメに三十貫(一一二.五キロ)もあろうと思われる円形の大きな石が引っかかったまま上がってきたという。これは竜神様の御加護による奇石であるとして、船頭某は岬に小祠を建立して祀ったのがその創始ということになっているが、明治の御代をむかえ、漁場請負制度が廃されると同時に、文久三年(一八六三)からこの地方に漁場を開いていた石川県人中島要之助の尊崇ところとなり、爾来岬神社として信仰をあつめるにいたった。大正五年(一九一六)、渡辺乙松、内田清、金谷幸太郎、森与三郎ら住民がはかって社殿を再築している。昭和三十七年(一九六一)付近住民やその付近に漁場を持つ人々によって現在地に新しい社殿が建立され、奉遷されたものである。無神職神社。

稚内市史編纂室「稚内市史」1968 稚内市
参考資料・情報など
稚内市史
稚内市史編纂室「稚内市史」1968 稚内市
現地確認状況
未確認
その他
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更新履歴
2016/12/01 記載
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