#126 / 札幌 石山通り沿いの女夫龍神

札幌 石山通り沿いの女夫龍神

住所
札幌市中央区南28条西11丁目1-6
緯度、経度
43.022440, 141.345702
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

西11丁目側にちょっと林に包まれたところがある。広さは四五〇坪(約一四八〇平方メートル)あるという。ここはかつて兵村追給地であったが、大正十年に本間トクが取得した。本間トクは北海石版社長本間清造の身内である。

本間トクは昭和二十五年一月、八〇歳で死去したが、昭和六十三年死去した孫の本間章介が大正十年に生まれ、生来病弱であったので健康を気づかい何とか健康に過ごせるよう願っていた。またここは豊平川がかつてこの地を流れ犠牲者があったことに加え、道路工事にも犠牲者をだしたことから、昭和三年これらの病難・地難・水難よけを祈念し、大石を祭神に社殿を建立、女夫龍神を祀った。

山崎長吉「さっぽろ歴史散歩 山の辺の道――定山渓紀行」1995 野沢信義
由来2

前回お伝えしたとおり、この龍神様のことは山崎長吉『さっぽろ歴史散歩 山の辺の道―定山渓紀行』1995年 に由来が記されています(p.55~56)。その記述の末尾に「マリヤ手芸室 松村富美子の調査の要約」(原文まま)とあります。これを読んだとき、「マリヤの松村さんが、どうしてここを調べたのかな~」と一瞬疑問に思ったのですが、そのまま読み過ごしました。

 このたび、その疑問が氷解しました(なお、私がお聞きしたのは「松村智恵子」さんで、前掲山崎著の「松村富美子」は誤記と思われる)。結論的にいうと、マリヤの松村さんは龍神を祀った人のご子孫だったのです。

 祠は、松村智恵子さんの祖母、本間トクという人によって建てられました。本間トクは、昨日のブログでお伝えした「北海石版」の本間清造の妻です。なぜここに龍神を祀ったかも、山崎著に記されています。松村さんによれば本間トクは信仰の篤い人だったそうです。

 以下は、松村さんからお聞きした話で、山崎著には書かれていないことを記しておきます。

(中略)

 松村さんのお話では…。 

 (手水鉢の奥の)コンクリートで蓋されているのが、井戸だった。この場所は、藻岩山のほうから多いときで五筋くらいの川が流れていたと聞いたことがある。‘ひょうたん池’という池もあった。龍神を祀ったのはそういう土地だったからかもしれない。1928(昭和3)年の辰年にちなんで建てたようだ。石山通りはかつて馬車が行き交い、井戸は馬の水飲み場に使われていた。

札幌時空逍遥 マリヤ手芸店、北海石版、女夫龍神、馬車道
参考資料・情報など
さっぽろ歴史散歩 山の辺の道――定山渓紀行
山崎長吉「さっぽろ歴史散歩 山の辺の道――定山渓紀行」1995 野沢信義
札幌時空逍遥
札幌時空逍遥 マリヤ手芸店、北海石版、女夫龍神、馬車道
現地確認状況
確認済み
その他
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更新履歴
2016/11/18 記載
2017/02/19 由来2追記
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