#084 / 大野町 文月地蔵堂 地蔵の雨乞い

地蔵様を川へ担いでいって水浴びさせて雨乞いした

住所
亀田郡大野町字文月116/北斗市文月52
緯度、経度
41.875106, 140.631043
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

文月地蔵堂

 文月地蔵堂の創立年は不詳だが、大正3年(1914年)編纂の『大野村史』によると、明治8年(1875年)

4月、有志の寄付にて21坪の木造茅葺きの堂宇を建築。同30年には7坪を増築し、留守僧も常置していた。

 本尊は地蔵尊、釈迦如来、阿弥陀如来で、上磯町清川の禅寺から如来像を譲り受け、禅宗と浄土宗の合同

形式をとったという。今は留守僧もいないが、墓地だけは寺の土地として管理されている。

 北海道水田発祥の地である文月地区には、この地蔵にまつわる奇妙な雨乞いの話が伝えられている。

 日照りが続き、手の限りをつくしたが効き目がなく、ある日、村の名主の発案で、地蔵様を川へ担いで

いって水浴びをさせることにした。翌朝、函館山の方に黒い雲が見えたかと思うと、みるみるうちに雲が広

がり、大粒の雨が降り始めた。雨は一昼夜降り続き、翌日カラリと晴れた。

 村の人々は涙を流さんばかりに喜び、さっそく地蔵様を川から揚げて元の所に納め、お礼を言った。その

後、地蔵様は何度も川に入れられたという。

平成16年11月吉日 大野町教育委員会

文月地蔵堂
由来2

最後に郷土での、珍奇な雨乞いの風景を、ただひとつ紹介することとする。日照りが続き手のかぎりを尽くしたが、ききめがどうしても現れなかった。村の名手の発案で、このうえは地蔵様におすがりするより、ほかがないということになった。平素村の重鎮として信任厚い名手の一言に、人々はなるほどと思ったが、方法を聞くと地蔵様をかついで来て、川で水浴びをさせることだという。名手はじょう談を言って、われわれをからかっていると村の人は笑ったが、名手の真剣さがわかると、早速これを実行することとなり、村の若い衆が総出でかつぎ込み、名手のいうとおりに川下に向けて水浴びさせた。

翌朝函館山の方に黒い霧が見え始めたかと思うと、見る見るうちにひろがり、大野をめがけるように進んで来て、たちまち大粒の雨が降り始めた。一日中降ってもやまないので夜通し降り続け、翌朝からりとやんで青空が見え出した。村の人びとは涙を流さんばかりに喜び、早速名手の家にお礼に行くと、わしに礼をいうよりも地蔵様にお礼を云いなさい、と名手はいったという。村の人びとは早速地蔵を川から揚げて、もとのところへおさめて、お礼を申し上げたことはいうまでもない。この話は文月に伝わる昔ばなしで、ほんとうにあった話しだと文月の古老は語るのである。その後なんべんも地蔵様が文月川に入られたという。

飯田吉次郎編「大野町史」1970 大野町(北海道亀田郡)大野町役場
参考資料・情報など
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文月地蔵堂
大野町史
飯田吉次郎編「大野町史」1970 大野町(北海道亀田郡)大野町役場
現地確認状況
未確認
その他
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更新履歴
2016/10/01 記載
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