大石の沼に棲む竜神さま
「竜神の棲む家」
大石の沼の伝え 大野三石
大野町に残る大石の沼の話は、深刻な水争いのあげく、農民たちが神の棲む沼に手を出して騒動になった伝えである。開拓期の水不足は想像以上に深刻だったことがうかがえて、興味深い。
この地帯は明治初め(一八七〇年代)から水田作りが盛んになり、大野平野が一面、水田になるにつれて用水がより必要になった。農民たちは大野川だけでなく久根別川の水まで引いたが、それでもたりず、そこここで"水争い"が起こり、いがみ合いが続いた。
こうなったら大沼の水を引く以外方法がなかった。大沼なら水はあり余るほどあるのだが、しかし水路を作るのに集落みんなが力を合わせなえればならない。醜いいがみ合いをしているもの同士なので、そんな相談もできなかった。
思案しているうち、市渡の連中が毛無山の中腹にある大石の沼に目をつけた。
「いや、あの沼には竜神さまが棲んでいるから、めったなことをしては罰が当たるぞ」
「しかし、このままじゃ田んぼが干せ上がってしまうでねぇか」
口から泡を飛ばして論議の果てに、背に腹は変えられぬとばかり用水工事に取りかかった。大沼から引くことを考えれば、まだずっと楽だった。
標高四百メートルの高地にある沼から水を引き、沢伝いに大野川へ落とす用水路を作るのだが、これが予想を上回る難工事になった。それでも集落の農民たちが何日もかかって山腹に水路をつける作業を続けた。
努力が実ってあと一日で開通という日、突然、大雨が降りしきり、雷鳴がとどろいた。雷鳴はおどろおどろしく腹腸を揺すった。集落の人たちはその凄まじさに、
「やっぱり竜神様が怒ったのだ。あの水を田んぼに引いてしまったら、竜神様の棲むところがなくなる」
とおののき、あわてて工事を中断した。
市渡の竜神の話はすぐにあたりに知れわたった。大石の沼から水を引いたら少しは争いもなくなると思っていたほかの集落の連中も竜神のたたりを聞いておじけづき、一日も早く大沼から用水を引こう、ということになった。
集落の代表者が集まって計画が立てられ、みんなの協力で用水路の工事が始まった。それからというもの水争いをしたら竜神が怒るといって恐れられた、という。以上は市渡に住む花巻源一郎翁が子供のころ、祖父母に聞かされた話をもとにしたものである。
大石の沼はいまも竜神が棲むと信じられている。大石というのはこの沢から流れる水と大野川が合流する地点に大きな石があるところからついた。
市渡交差点から江差山道を十キロ余り、大野川の釣り橋を渡って毛無山の七合目付近に沼がある。周囲には寝曲がり竹が覆い茂り、ミズバショウが咲いている。水を落とそうと途中まで作った堀の跡も残っており、当時をしのばせる。
合田一道「北海道おどろおどろ物語」1995 幻洋社
1870年代に水不足を解決するために水を引こうとしたが、竜神の祟りを怖れて用水路の採掘を一歩手前で取りやめた歴史が残っているのが大石の沼である。大石とは文字通り大きな石があったために名づけられた場所で、毛無山の登山道の中腹にその沼はある。
2022年6月初旬、登山口が分からなくて右往左往したが、丁度下山してきた優しい若者に助けられて無事に登ることができた。途中の分岐等の情報も共有してもらい非常に助かった。コース自体は吊り橋を渡って、川沿いの道を進み、旧道と新道との別れ道を経て、尾根沿いまで一気に上がるようなコースだった。なるべく早く行って、早く戻ってきたい。 登り始めが15時と少し遅く、疲れもあってか忙しない気持ちで沼まで駆け抜けてきた。
わき目も振らずに沼を目指したため、道中の記憶がとても浅い。沼や湖が近づいてくると、鳥の声が水面にこだまして、開けた音になる。その気配に安堵し、 無事に沼にたどり着いてやっと一息ついた。汗が収まるのを待ちながらあたりを散策するが沼はそこまで大きくない。気配は喜茂別の龍神の沼に似ていただろうか、アプローチは空沼の真簾沼にも似ていた。山の中腹にぽつんと現れた秘境の沼である。水面をアメンボや魚が小さく揺らしている。
歩ける場所はそんなにおおくはなかったので、可能な範囲で周囲を確認してみるにとどまったが、明確に用水路の痕跡と分かるような場所は見当たらなかった。もしかしたら先へと続く登山道の方向が枯れ沢のような形で延びてはいたが、その先は急な傾斜となって落ち込んでおり、用水路としては機能しないように思えた。兎にも角にも無事に沼を拝むことができて急いでしまったため往復で1時間ほどの往路での山歩きとなった。
2022/6/15