#066 / 札幌三角山の御門山豊受神社

雨乞いの神。琴似神社の境内に御門山琴似天満宮として今に至る。

住所
札幌市西区琴似1条7丁目1-30
緯度、経度
43.057552, 141.287150
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

雨乞い祭り

西区の三角山の麓に建つ御門山豊受神社は、珍しい雨乞いの神として崇められている。

この神社はもともと三角稲荷神社と称し、戦前から三角山の中腹に建ち、地域の信仰の対象として奉られていた。ところが、戦後、進駐軍が駐屯するようになり、米兵が面白半分に銃でお宮を射撃し崩壊してしまった。

昭和二十五年、札幌地方にひどい旱魃が襲った。このあたりは西区と中央区のちょうど境にあたり、いまでこそ住宅街になっているが、当時はキャベツ、キュウリ、ナスビ、トマトの野菜畑で、札幌の街の野菜の供給源として知られた。

雨がなくては野菜は育たない。困りはてた山の手農事組合の二十四人は悲壮な決意で、琴似神社宮司にしたがい、荒れはてたこの三角稲荷神社に詣でて、

「一滴でもいいから雨を下さい」

と必死に祈った。ところが不思議なことに、間もなく西空がにわかに曇りだし雨が降り出したのである。農民たちは神が我らの願いを聞きとどけてくれた、と裸になって雨を浴び涙をぬぐいもせず抱き合って喜んだという。

それからというもの、農民たちはこの神社を雨の神として敬い、祠を造って祭りをするようになったが、歳月がたつにつれて山腹の祠まで登るのも年配者では容易でなくなったので、開道百年にあたる昭和四十三年、熊井孝幸さんらが発起人になり、それまで建っていた場所より下手に立派なお宮を建立、琴似神社宮司の命名で現在の御門山豊受神社となったのである。祭りは春が五月十九日、秋が十月十九日。春祭りの日、境内のサクラはちょうど満開だった。老いた両親の手を引いて、屈強な若者が境内にやってくる。幼い子供たちも大勢いて、ちょうど花見の宴のようにも見える。「そうなんですよ。雨乞いの神として神社の建立に尽力した方々も随分亡くなりまして、当時を知る人も少なくなりました。こうしてなごやかに祭りができるのをありがたく思わなければ」熊井さんは、そう言って散りはじめたサクラの木を仰いで顔をほころばせた。祭りをめぐってみて、どの祭りにもそこはかとない匂いを感じた。それは、その地域に長い歳月をかけてはぐくんだ、懐かしい故郷の香りのように思えた。

札幌市教育委員会文化資料室編「札幌文庫 札幌の寺社」1986 札幌市
参考資料・情報など
札幌の寺社 さっぽろ文庫
札幌市教育委員会編「札幌の寺社 さっぽろ文庫」1986 札幌市
現地確認状況
未確認
その他
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更新履歴
2016/10/01 記載
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