虫の知らせ

#063 / 北広島のタモの大木に宿る大蛇

樹齢数百年のタモの大木に宿る大蛇を祀っていた神社

住所
北広島市北の里3
緯度、経度
43.011286, 141.563610(調査中)
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

「焼き殺された大蛇」

大蛇神社の怪異な由来 広島


明治初め(一八七〇年代)に広島町で起こった身も凍るような恐ろしい話しを「北の語り」から紹介しよう。

広島町は開拓当時、豊平ほか五ヶ村長役場に属していた。この地に入植した武右衛門は毎日朝早くから樹木の伐採に精を出していた。

右衛門の土地に樹齢数百年を数える直径二メートルものタモの大木が生えていた。彼は伐り倒した樹木の小枝や竹の根などを集めてはこの大木のまわりに積み重ねた。

何年かして大木の周辺が小山のようになったので、これを焼きはらおうと火をつけた。火はたちまち燃えさかり、夜になってもえんえんと燃え続けた。

その夜、武右衛門の枕元に長い髪の美しい女が現れ、

「火を消してください。火を消してください」

と言って、そのままいなくなった。朝になり、変な夢を見たものだと思っていると、その夜、また女が現れ、髪振り乱し、目を血走らせながら、

「火を消してください。火を消してください」

と哀願した。

三日目の夜もまた女が現れた。女の髪の毛はすっかり抜け落ち、皮膚も垂れ下がり、まるで老婆のようになっていた。女かすれた声で、同じ言葉を吐いた。

四日目の夜はもう白骨同様の姿になって現れ、火を消してと繰り返し訴えた。武右衛門は連日の気味悪い女の出現にすっかり疲れ果て、まだ赤々と燃えさかる炎をぼんやりみていた。すると炎の色が急に青白く変わり、タモの根元あたりから紫色の脂のようなものが流れ出てきた。火は七日七晩燃え続けてやっと消えた。

その段階になってはっとなった武右衛門は、焼け残ったタモの大木に梯子をかけてのぼり、空洞になっている幹の中をのぞくと、大きな口をあけた大蛇がとぐろを巻いたまま白骨になって横たわっていた。

驚いた武右衛門はあの女こそ大蛇の精だったのかもと、骨の一部を自宅に祀った。この話を聞いた付近の人々は、たたりを恐れてタモの木のそばに小さな祠を建てて供養した。

だが、武右衛門の家では三人の息子が成人するころになると原因不明の病にかかってつぎつぎに亡くなり、後継者もいなくなってついに土地を手放しなければならなかった。

大蛇神社は広島町北の里三に建っていたが、現存しない。この土地の所有者は渡辺忠さんという四代目。

「私が若いころはまだ神社がありましたが、放置されたままでした。そんなことからか、うちでもウシがさっぱり育たず、祈祷師に拝んでもらって蛇の好きな酒とタマゴを供えたところ、それからウシがよく子を生んでくれて。偶然なんでしょうか」

と不思議そうに語っている。

合田一道「北海道おどろおどろ物語」1995 幻洋社
由来2

大蛇神社 -広島-


北海道の開拓は、昼でも夜でもうっそうとしげる原始林を切り倒し、住む所や畑をつくるところから始まりました。広島町に来た武右ェ門さんも、朝早くから星の出る夜まで毎日こうして木と格闘してがんばっていました。

この武右ェ門さんの土地に、樹令数百年、直径がなんと二メートルをこえるタモの大木が立っていました。満足な道具もない当時、切り倒すこともできないので武右ェ門さんは、この大木のまわりに利用できない木や竹の根、小枝などを数年にわたって積み重ねておきました。それが小山のようになったある日、焼きはらうことにしました。

火はたちまちまっ赤な炎となって空高く昇っていきました。

その夜のことです。武右ェ門さんのねている枕もとに、長い髪の美しい女の人が現れ、ぬれて黒光りする目で武右ェ門さんを見つめると、いいました。

「火を消してください。火を消してください。」

朝になって変な夢を見たな、と武右ェ門さんは思いました。ところがこの日の夜もまた女の人が現れました。髪をふりみだして、目を血ばしらせ疲れきったようすでたのむのです。

「火を消してください。火を消してください。」と。

木を切り倒した後は、不用の木などを焼きはらうのは、当時の開拓のあたりまえの手順です。一日でも早く開墾を進めなければならないのです。

三日目の夜は、あの長く美しかった髪はすっかりぬけおち、皮膚もたれ下がってまるで老婆のような姿に変わってしまった女の人は、それでもかすれた声でくりかえすのでした。「火を消してください。火を消してください。」

そして、四日目の夜は、もう白骨同様の姿で現れました。

「火を消してください……。」

あいかわらず同じことをいって、武右ェ門さんに拝みたのむのでした。

武右ェ門さんは連日の気味の悪い、ふしぎな夢にすっかり疲れはてて、まだ赤々と燃えている炎をぼんやりと見ていました。すると、炎の色が急に青白く変わり、タモの根もとあたりから紫色の脂のようなものが流れ出てきました。

「奇妙だな。」

と武右ェ門さんはつぶやきました。

火は七日七晩燃え続けると、さすがに消えていきました。

この時になって、武右ェ門さんははっと気がつき、急いで焼け残っているタモの幹にはしごをかけて、中をのぞきました。

すると、天に向かって裂けんばかりに大きく開けられた口のついた十五センチほどの頭部を上にして、とぐろをまいた大蛇の白骨死体が、空洞になった幹の中にあるではありませんか。

武右ェ門さんはころげ落ちんばかりにおどろき、四日間の夢のことをまざまざと思い出しました。そしてせめてもの供養にと、その骨の一部を自宅でお祀りしました。

近くに住む人たちはこの話をきき、大蛇のたたりをおそれて、武右ェ門さんを中心として、焼け残ったタモのかたわらに小さな祠を建てました。これが後に”大蛇神社”と呼ばれるようになり、おまいりに来る人たちもずいぶんいたということです。

ところがこの神社も、昭和の初めの大洪水で、近くを流れる裏の沢川がはんらんし、押し流されてしまい、今では残っていません。

武右ェ門さんは、その後、三人の息子さんが働き手の年齢になると、原因不明の病で次々と亡くなるなどの不幸が重なり、血と汗で開拓したこの土地を手ばなしてさっていったということです。

次にこの土地の地主になった作次郎さんは、酪農を志して買った牛や馬が次々と死ぬのに困りはて、勧められた占師のことばに従って、家畜舎を改造し、神主にお祓いをしてもらったところが、それからは何事も起こらなくなって、現在に至っているということです。(広島・北の語り創刊号・再話)

北海道口承文芸研究会編「北海道昔ばなし 道央編」1989 中西出版
参考資料・情報など
北海道おどろおどろ物語
合田一道「北海道おどろおどろ物語」1995 幻洋社
北海道北広島市 北広島遺産ハンドブック
北広島遺産ハンドブック
北海道昔ばなし 道央編
北海道口承文芸研究会編「北海道昔ばなし 道央編」1989 中西出版
北海道民間説話<生成>の研究 伝承・採訪・記録
阿部敏夫「北海道民間説話<生成>の研究 伝承・採訪・記録」2012 共同文化社
現地確認状況
未確認
その他
阿部敏夫「北海道民間説話<生成>の研究 伝承・採訪・記録」2012 共同文化社に、経緯から諸説まで網羅して記載、分析されており、 これ以上に説明する必要性は皆無と言える。
更新履歴
2016/10/01 記載
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