#059 / 上ノ国町 夷王山の雨乞い

夷王山の崖にある赤土を少しとって壺におさめて山に祈ると、必ず雨が降る

住所
檜山郡上ノ国町字勝山
緯度、経度
41.796067, 140.098229
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

[雨乞い](及び雨晴れ)

「えみしのさへき」に雨乞いについて次のような話がある。

上ノ国、夷王山(もと医王山)の付近に、赤土の崖の見えるところがある。日照りがつづいて田畑が枯れ、あるいは川水がなくなって山で伐った木を流すことができなくなると、ここの赤土を少しとって壺におさめて山に祈ると、必ず雨が降るのである。また逆に雨が降り過ぎたばあい、別の山の清い土をこの赤土に混ぜ、これに鹿の片角をそえて捧げるのである。この赤土をたいそう神様が惜しむのである。雨乞いの方法も面白いが、その逆の雨を止める方法も面白く、これはちょっと珍しい話だ。

須藤隆仙「北海道の伝記」1971 山音文学会
由来2
北海道庁編「北海道の口碑伝説」1940 日本教育出版社
由来3

雨乞い

日照りのとき降雨を神仏に祈る風は、全国的にある。檜山郡上ノ国町の夷王山の付近に赤土があり、日照りにその土を壺におさめて山に祈ると雨が降るといわれていた。上磯郡知内町の雷公神社に合祀する雨石神社は、鎌倉時代に死んだ大野重一の石塚といわれ、その神体である石を、祈祷してから川に入れると、雨が降るとされていた。後年そこに松を植え現存しているが(樹齢四〇〇年)、その松にも神酒を供えて、いっしょに祈ることになった。亀田郡大野町東開発の稲荷神社に「水虎大神」の碑があり、雨乞いのために建てたものという。水虎とは河童のこと。

南北海道史研究会編「函館・道南大辞典」1985 株式会社国書刊行会
由来4

医王山の峰にのぼると、ささやかな鳥居があった。小さい祠のなかにあるひさごがたの石の面に、三つの像がある。その中央は薬師仏、左に十一面の観音菩薩、右には、ほこつるぎが持たれた地蔵尊をひとつの石に刻んで、この三体の仏の間に「医王山頭陀寺永禄七年(一五六四)三月」とだけの文字が消え残っていた。むかしの寺の跡であることが知られ、花見が館の栄えた昔をしのんだ。

ここを離れていくと、赤土の崖の見えるところがある。六月のころ、日照りがつづいて田畑の作物が枯れ、あるいは川の水の流れが乏しくなって、仙北を伐り流しおろすことができないときには、この赤土を少しとって壺におさめ、降雨をこの山に祈ると、まさしく降ってくるという。またこうして雨乞いのおかげでふりすぎて、こんどは晴れるのを願うときには、別の山のきよらかな土を、その赤土にまぜて、これに鹿の片角をそえてささげ奉る。この赤土をたいそう神が惜しまれるそうだなどと、この案内の賢い子供が語った。この道は原口にわけくだると教えられて、こんどは東側の道をたいへん速く、あの寺の軒端をさしてくだった。

菅江 真澄 / 内田武志・宮本常一訳「菅江真澄遊覧記(2)[全五巻]」1966 平凡社
参考資料・情報など
北海道の伝記
須藤隆仙「北海道の伝記」1971 山音文学会
北海道の口碑伝説
北海道庁編「北海道の口碑伝説」1940 日本教育出版社
函館・道南大辞典
南北海道史研究会編「函館・道南大辞典」1985 株式会社国書刊行会
菅江真澄遊覧記(2)[全五巻]
菅江 真澄 / 内田武志・宮本常一訳「菅江真澄遊覧記(2)[全五巻]」1966 平凡社
現地確認状況
確認済み
その他
2017/5/13の朝、大澗ノ崎から車で5分ほどで駐車場に到着する。霧雨交じりの強風は更に強くなったようにも感じる。 隣接する駐車場から眺めると小高い丘と言った感じの夷王山の頂上に立つ鳥居を確認することができる。 そこまで続く道を風に負けないように一気に駆け上がる。 山頂からは先ほどまでいた大澗ノ崎も、海岸線や天ノ川河口沿いの平地にへばりつくように拓けている上ノ国町の姿や、その先に広がる江差町の景色を一望することが出来る。 奥尻島の姿は遠くかすんでいる。 日本海側の海沿いの町並みの、海と丘とに挟まれて窮屈に拓けた風景を目にするたびに、防風壁や錆びたトタン屋根の家屋からそこで営まれてきた自然との関わり合いの苦労の数々を勝手に想像してしまう。 春先に芽吹く植物たちが、海から吹く風の頭を左右に揺らし続けている。山頂の鳥居をくぐると、石造りの壁に囲まれた夷王山神社が建っている。 それに見守られて、幾つかの船舶が海上で漁をしているのが確認できた。
更新履歴
2016/10/01 記載
2017/01/06 由来3記載
2017/05/12 由来4記載(※#025 / 上ノ国 大澗ノ崎 竜灯から移動)
2017/05/15 その他を記載
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