夷王山の崖にある赤土を少しとって壺におさめて山に祈ると、必ず雨が降る
[雨乞い](及び雨晴れ)
「えみしのさへき」に雨乞いについて次のような話がある。
上ノ国、夷王山(もと医王山)の付近に、赤土の崖の見えるところがある。日照りがつづいて田畑が枯れ、あるいは川水がなくなって山で伐った木を流すことができなくなると、ここの赤土を少しとって壺におさめて山に祈ると、必ず雨が降るのである。また逆に雨が降り過ぎたばあい、別の山の清い土をこの赤土に混ぜ、これに鹿の片角をそえて捧げるのである。この赤土をたいそう神様が惜しむのである。雨乞いの方法も面白いが、その逆の雨を止める方法も面白く、これはちょっと珍しい話だ。
須藤隆仙「北海道の伝記」1971 山音文学会
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北海道庁編「北海道の口碑伝説」1940 日本教育出版社
雨乞い
日照りのとき降雨を神仏に祈る風は、全国的にある。檜山郡上ノ国町の夷王山の付近に赤土があり、日照りにその土を壺におさめて山に祈ると雨が降るといわれていた。上磯郡知内町の雷公神社に合祀する雨石神社は、鎌倉時代に死んだ大野重一の石塚といわれ、その神体である石を、祈祷してから川に入れると、雨が降るとされていた。後年そこに松を植え現存しているが(樹齢四〇〇年)、その松にも神酒を供えて、いっしょに祈ることになった。亀田郡大野町東開発の稲荷神社に「水虎大神」の碑があり、雨乞いのために建てたものという。水虎とは河童のこと。
南北海道史研究会編「函館・道南大辞典」1985 株式会社国書刊行会
医王山の峰にのぼると、ささやかな鳥居があった。小さい祠のなかにあるひさごがたの石の面に、三つの像がある。その中央は薬師仏、左に十一面の観音菩薩、右には、ほこつるぎが持たれた地蔵尊をひとつの石に刻んで、この三体の仏の間に「医王山頭陀寺永禄七年(一五六四)三月」とだけの文字が消え残っていた。むかしの寺の跡であることが知られ、花見が館の栄えた昔をしのんだ。
ここを離れていくと、赤土の崖の見えるところがある。六月のころ、日照りがつづいて田畑の作物が枯れ、あるいは川の水の流れが乏しくなって、仙北を伐り流しおろすことができないときには、この赤土を少しとって壺におさめ、降雨をこの山に祈ると、まさしく降ってくるという。またこうして雨乞いのおかげでふりすぎて、こんどは晴れるのを願うときには、別の山のきよらかな土を、その赤土にまぜて、これに鹿の片角をそえてささげ奉る。この赤土をたいそう神が惜しまれるそうだなどと、この案内の賢い子供が語った。この道は原口にわけくだると教えられて、こんどは東側の道をたいへん速く、あの寺の軒端をさしてくだった。
菅江 真澄 / 内田武志・宮本常一訳「菅江真澄遊覧記(2)[全五巻]」1966 平凡社