坂の下神社の竜神沼
調査中
2022/9/14 記載
気温が上昇し強い日差しが降り注いでくる。車で30分ほどの距離にある同じく稚内、道道稚内天塩線(オロロンライン)沿い、日本海側の北端近くにある龍神沼に向かう。沼は道路脇の斜面に設置された階段を登ったうえにあり、坂ノ下神社が沼のすぐ脇にある。こちらも2018年以来の再訪となる。前回は日本海側から車を走らせたが今回は反対側、オホーツク側からの訪問となった。
神社の鳥居のところに車を停めた。急こう配の階段は綺麗に手入れされている。登るたびに右手の視界がひらけてくる。数分も登るとあっという間に坂の上神社と沼が見える。季節柄なのか、沼の水は前回よりも少ないように見える。沼を一望できるような道は見当たらなかったので、左手の斜面を登ってみることにした。道はなく、笹をかき分けて進むことになったが、海岸沿いの丘陵の笹は膝丈よりも低くて藪漕ぎというほどでもない。頂上付近にはコンクリートの足場が埋められてあり、その上に立つと遮るものなく沼を視界に収めることができる。海に目をやると、勇ましい利尻岳の姿が海上でどっしりと佇んでいる。龍神信仰が盛んな島、利尻島は撮影を開始してから未踏の島として残り続けている。
龍神沼は笹の丘陵の中にぽっかりと浮かんでいるように見える。海面を基準に見ると、高台に沼が浮かんでいるようでもある。周りには水脈を連想させるようなものは何もなく、丘陵地帯の高台の笹薮の中に沼がある景色は不思議な光景で、人の興味を惹きつけ信仰の場所となったことは何ら不思議ではない。
この沼は1863年、天塩から来た漁師の中島要之助が、山頂の小沼のほとりに大漁を祈願して小祠を建て竜神を祀った。いくつかの伝説があるが、最も有名なものは、材木屋が木材を竜神沼に入れておいたが数日後に行ってみると木材すべて消失しており、海の向こうにある利尻富士の麓の姫沼に木材がたくさん浮かんでいた、というものだろう。竜神沼の底は利尻の姫沼まで続いているという話はそこから広まった。松浦武四郎の日誌にも沼の記載があることから、古くから信仰の場であったことがわかる。ちなみに中島要之助は同じく稚内で龍神信仰がある 岬神社にも関連している人物である。
・江戸期宗谷場所来訪年表
中島要之助、坂の下竜神宮を祭祀
https://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/files/00006900/00006975/nenpyou.pdf
岬神社
http://ryujin.metasato.com/ryujin/133_wakkanai_misakijinjya/ryujinDetail.html