厚岸町 バラサン岬の国泰寺の龍王殿
調査中
釧路市 春採湖 龍神の祠に続いて。
かつて兄が厚岸に住んでいた際に厚岸には来たはずだがほとんど記憶にない。大学を卒業した際に北海道1周切符を父親に買ってもらい、夜にJRで到着し中華をおごってもらい泊めてもらった記憶だけがある。
厚岸といえば国泰寺。地元伊達市の善光寺、様似の様似等澍院と並んで蝦夷三官寺として北海道の先住民族であるアイヌへの仏教布教などの目的で江戸幕府が建設した歴史ある寺院である。
レンタルした自動車にはナビがついていなかったが、今やスマホがあればなんでもできる。スマホがないとできないことが増えてきた。 事前にマッピングしておいたGoogleMapをたよりに迷うことなく到着した。隣接する厚岸神社の鳥居が目立ち、まずは階段を駆け上がって寺院を見下ろし、その先にある海を見た。 気持ち良い日差しが降り注いでいる。
国泰寺の入り口にはこじんまりとした郷土資料館がある。無人のような静寂だったがぽつぽつと人が訪れているようだった。最後に立ち寄ることにしてまずはお寺さんを見に行く。 葵の御紋がお出迎えしてくれた門を通り小ぶりな庭を通って寺院を眺める。よく手入れされている。 等澍院よりも風情があり、善光寺よりこじんまりとした印象だ。善光寺は有珠湾を見下ろすように裏庭が広がっており何度歩いても気持ちが良い。 明治に英国女性、イザベラ・バードが旅した際に絶賛した有珠湾は人の手が多く入って魅力は半減したがそれでもなお美しい。 そんなお国自慢は置いておいて肝心の龍王殿を探す。厚岸神社と反対側、海側の丘にそれはあるようだ。
手入れされた階段を登る。最初にあるのは馬頭観音像。龍神信仰について調べ始めて分かったことだが、北海道には稲荷さんと馬頭観音の数の多さが際立っている。階段を登るとすぐに目的の龍王殿にたどり着く。大きい。 向かって右手、海側には史跡である神名宮跡、立派な魚魂碑が立っている。 近づいてみると金色の龍王殿の文字が力強い。ドアを開けて中を覗いてみる。内部は広くきれいで多くの信者さんに支えられていることがわかる。立派で現在も現役で使われている社殿である。 天井に信者さんの名前が入った龍の絵が一面に貼られており壮大だ。正面には金色の葵の門があり、金色の鳳凰の織物がそれを中心において鮮やかに彩っている。 ご神体の前には龍神信仰にはきっても切り離せない和太鼓が配置されている。中に入るのははばかられ入り口で内部の様子を関させていただき手を合わせてドアを閉める。龍王殿の外に目を向ける。
龍王殿の右手、海側の裏手は小高い丘になっていて獣道はあるが簡単には登るのは難しい。急峻なその自然の壁のようにそびえるバラサン岬は国泰寺を包むようにあるともいえるし、そういった場所に寺院を建設したともいえる。 海に向かって雑木林のようになっており、そこの木立がウミウだろうか、鳥たちの巣を作る場所になっている。 そちらに向かって歩くと鳥たちが気配を察して一斉に飛び立ち、何羽もぐるぐると上空を旋回している。 木立の下は鳥たちのフンで白くなっている。 目視でも20ほどの巣がある。港では働いている人たちの気配が伝わってきた。 厚岸は古くは縄文遺跡が見つかっており、江戸時代には林業や漁業で和人と交流があるアッケシ場所として開かれた土地である。 今もカキ養殖の盛んな地であり、漁業に関わっている人たちが多く、そうした人らによって龍王殿は支えられているのだろう。
次は 浜中町 火散布竜神社がどこにあるのかわからずで、霧多布神社に向かうことにした
低木が多く湿原に目を奪われる。風景を楽しみながらナビを頼りに車を走らせていると、ルパン三世のキャラクターが現れた。浜中町は原作者であるモンキーパンチの出身地、先日他界したばかりだ。 それらを横目にルパン三世通りを通って突き当りにある霧多布神社はこぎれいで立派な神社だった。 社のわきに白い鳥居があり、その奥に赤い屋根に白塗の壁で作られた龍神社がある。賽銭箱の散布龍神会の文字がそれを護る人たちの姿を連想させた。 付近を少し散策したのち、次の目的地を目指してその場を後にした。GWにも関わらず車の数は多くなく、信号もほとんどないのでゆっくりとノイズ交じりのAMを聞きながら移動を続けた。
浜中町 法華寺と曹渓寺の竜王殿 を経由して根室を目指した。
(2019/5/14)