#242 / 雨竜沼湿原の主

雨竜沼湿原に住む主の竜

住所
〒078-2600 北海道雨竜郡雨竜町338−2
緯度、経度
43.699650, 141.604281
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

雨竜沼の伝説


その1 中野ソト談

昭和10年頃ですね。日照りが続いたのでね、雨竜沼に主がおるんですって。そこに刃物投げ込んだらね、その主、竜っていうか、大蛇っていうのか、怒って雨を降らすんですって。その頃の雨竜沼へ行くのは今こそ道ついていますけどね。大変だったんですよね。

それでも青年五、六人でね。お弁当持ってそして出かけたんですよね。私がお嫁にきた頃、昭和十年頃ね。日照りが続いて、そうやって行ってね。鉈ですか。鉈をその沼へ投げ込むんですよね。そうしたら竜っていうか、大蛇っていうか、怒って雨降らすんです。

すると雨竜沼からずっと流れてくる川が今度、大雨になってね、「もうその川があふれ、行った人が押し流されそうになるくらい、降った。」っていうんです。


その2 丸山健治談

私が学校に入っておったかおらんかの時、用水施設が悪くてさ、てんでんに水をオモシロナイ川からね、用水をつけて水を引っぱっておった格好だったんだ。そしたら、今年のように旱魃だった。もう水がなくてなくて、下のものなんか、田んぼ割れてしまうんだ。それこそひどかったらしいですよ。そしたら、雨竜沼ってどんな沼か知らぬが、あとでわかったんだけれどもね。どんな沼かわからないけれども、スコップ持っていって、切ったらどんどんオシラリカ川に水が落ちるんだと。そして、そこに水を切りに行ったら、山の神が怒るんか、湖?の神さんが怒るんだか知らん、とにかく酷い集中豪雨に会うんだって。それで全然雨竜沼切ること出来んという伝説は聞いております。


その3 沖田豊重談

私が行ったことはないが、旱魃の時はからなず行きましたよ。その時分は蜂須賀農場が。今では土功組合と言いますが、昔は小作農だから、蜂須賀農場が総元締めで、旱魃だから、山に雨乞いに行く。みんな行かんから、部落代表何人かで、山に泊まる。泊まらなかったら、昔は帰ってこれなかったからね。そして沼の水切ってきたというけれども、切ったのか切らんのか知らないが、沼の水切っても増えてくるでもない。

今は、たくさんありますよ。大小合わせ、百も数百十もありますよ。中には島が浮いているようなものもある。まあ、あすこに行った人でなければ話聞いただけではわからない。湿原地帯でね。その沼が平らであって、隣の沼と沼とが階段があるんですよ。三段位になっていて、この沼にも、この沼にも水がいっぱい溜まっている。こばれているわけではないけれどいっぱい溜まっている。不思議な所だね。行ってみたら、それで深いかというと深くないのですよ。私の感じでは1メートルしかない。それに白い睡蓮が咲いている。私が言ったのは八月何日だったかなあ。睡蓮が一杯咲いていた。三九年かそこらだった。

竜神が住んでいるから、水を切りに行って、怒らせて雨降らすんだというんだね。沼切ること嫌うから降らすんだと言ったりする。


その4 広長チヨ談

昔はね、雨竜沼といったら、農家の人が水が足りなくなった時とか、そういう時しか山へ上がれなかったんですよね。それでお水貰いに行く時は、結局ほら、空に近いからあそこは天人が遊ぶところだから行って悪いことをした・・・。こう沼がびっちりあるんですよね。その沼を切れもの持って、口開けると、水流れるようにすると、天におる神さんが怒って そして大きな雨降らす。ただ子供の頃、私らそう聞いていましたけれどね。だから、お水なくなった時はお水貰いに上がったそうです。


その5 須見サン談

うちの主人なんか、私が来た頃、水がなくて沼を切り落としに行きましたよね。何年ごろだろうね。(昭和二十五、六年頃ですか)うーん、そんなものではないでしょうか。「須見さん、あそこに行くんでないよ。あそこ、行って帰ってきた人いないんだから。」って・・・そういわれてね。雨竜沼には主がおるから行くんでないと言われてね。


その6 高田清次談

西村勝己さんが鉄砲打ち二人と頼まれて、沼切りへ行ったと。昔だから川づたいに上がってゆく。そして、天気の後で行くもんだから、降る時期に上がることになるだろうけど、途中でやはり雨にあって帰ることもあるようだ。行ってやっぱりいくつか切ったこともあると話していた。切ったからといって、その水が下まで来るかといったら、それほどでもないと思うんだよね。それと女の人が登ってはいけないとは聞いたことないね。


その7 藤本星子談

昔ね。田んぼ作ってる時にね。水がなくなってね。そして雨竜沼に上がって雨竜沼へ行ったらね。百何ぼやら沼があるんだって。私らも上がったけど、そこに行って手前のをね、破ったらオシラリカ川へ流れるようになってるんだって。そこへ行って、あのよく水切ってきたらね。必ず雨になるとか言って、ウチのじいちゃん、よく言っていたよ。


その8 西尾サダコ「写真2」談

そこへ登ったら、やっぱり竜がおって、帰ってこれんとかなんとか言うとったねえ。「雨竜沼には竜が住んでいる。」と、そしてね、それがね、真っ黒になってね。ものすごい真黒い墨のような雲でね。夕立ちがだーっと降ってきたものね。その時に江部乙にどっかにあすこに沼があるのだろうか。「何かいったんでねえか。」そんなことをいうの聞いたことがあったんだけどね。それから、今あそこにのぼるけんど。もー、雨がない。雨が降らんのでね。あそこへのぼると必ず雨が降るんですと。私が来た頃には。したら今度、ダムが出来て水に不自由ないけど。昔は水に不自由でね。田んぼ枯れてさぁ。三時間もらうとか、二時間もらうとか、けんか腰だったものね。そんな時にその山に登ってさ、たいしたいいお天気だったのに、帰り、すごい雨で流されるくらいだったと。そう言っておったよ。それから、真っ黒になって江部乙の沼に移って行ったとか言っとったよ。言ったものか行かないものか知らんけんどね。


その9 北川富次談

田んぼの水がなくてね、オシラリカ川から水も流れてこなくて、どうにもならんくて、それで水切りに上がったら、上がるまでの間に雨が降ってきた。そこには仙人だかなんだかがいて人間を寄せ付けなかっと言う説を聞いたことがあるね。


その10 三辻智敬談

入り口まで行ってきらんうちに夕立にあって、やっと帰ってきたこともある。山にやっぱり、その水の神さんがおるんだ。そこ行くと、向こうが怒って雨降らすらしいぞ。


その11 長谷川義雄談

「雨乞いに行って、沼の出口を掘り下げてくると、水が出る。」と言うので途中まで行ったけれども、途中で雨に降られて、ひどい目に遭ったとか言う話は聞きましたね。


その12 佐々木高一談

昔、水がなかったんだ。頑張ってね、そん時、雨竜沼へ水もらいに行ったんだ。水もらいにね。ちょっと切ったら、ざんざん雨降ったな。


その13 安田富次談

昔、魚釣りがおった。その魚釣りが、今の雨竜沼の方を向いて、魚釣りに、今の山小屋からずっと上がって、そのやまべを釣り上ったもんだった。魚釣りに、今の山小屋からずっと上がって、そのやまべを釣り上ったもんだった。雨竜沼に竿入れると雨降るものだってね。

三日ぐらいすると雨が降って、雨が降ると上がる時は沢伝いに上がっても、雨が降ったら、一時で帰らなければ帰りに水が増えてね。それは急流なものだから流されたりしたそうだ。うちの父親は、魚釣りに行ったとかなんとかいう人は、今の旧市街の辺りにおったらしい。それで、その人が魚釣ってくると大したやまべのこんなの釣ってきたと。

その人が言うのには、言って魚釣ると船に出てきて、「あれ?」がくると雨が降るから臼降りて来たというけれどね。

そういう話を、うちの父親は俺に話したことはあるけれどね。

山に上がって、今の山小屋のそばの滝の上に行って釣るとよう釣れたものだそうだ。「あれ?」が出ると今度帰る支度せんかったら、自分が流されるくらい雨が降ったものだという。

そういう話をしておった。


その14 後藤幸雄談

今のようにダムのない時はね。三人位がね、雨竜沼を切りに行くってね。昔、三日位かかったそうだね。道路なくて、川の中、登って行ったから。そして言ったら大抵雨が降るということで、最後の手段で、雨竜沼を切りに行くと言って、言ったものだね。ここ降らんでも、山が降ったという話はあったね。川が増水して二、三日帰れなかったと言う。

怪我する人は、岩山を行くものだから足滑らして怪我した。主が銅の河野という話は?あのオシラリカ川から水が巻き上げられるのは何か沢の関係かね。我々も2回位見てますよ。真っ黒になって水が上がる。巻き風でね。そういうのがあったから、昔の人は簡単に竜がおるとかいって結びつけたのではないだろうか。竜がおるということは聞いたことがない。そういうイメージを持っていた方が幸せじゃないだろうか。

昔の人は、そういう一種のユーモアがあったんだね。


北海道民族文化研究会 編集者 宮良孝弘「北海道を探る 雨竜特集 その1空知管内雨竜町の社会と民族」1985 (協)高速印刷センター
参考資料・情報など
「北海道を探る 雨竜特集 その1空知管内雨竜町の社会と民族」
北海道民族文化研究会 編集者 宮良孝弘「北海道を探る 雨竜特集 その1空知管内雨竜町の社会と民族」1985 (協)高速印刷センター
現地確認状況
確認ずみ 2022/9/4
その他

2022/9/14 記載

神居岩総合公園の野営地でぐっすりと休んだ。翌朝、朝露が多く、芝生の上を歩いただけでランニングシューズがあっという間に濡れた。お湯を沸かしながら道具を片付けテントを干したり。スープと前の日に買った菓子パンをかじっていたらあっという間に時間が過ぎた。予定よりも1時間ほど遅く8時過ぎに雨竜沼湿原に向けて出発した。1時間半ほどの距離だったが、雨竜沼湿原の登山口への道は途中から砂利道と舗装路が入り混じっている山道を20キロほど進む。速度を控えながらゆっくりゆっくり。道中ほとんど携帯の電波はない。尾白利加川とその上流、道の脇にあるペンケペタン川に沿って釣り人の車が停められている。1台や2台ではなく、10台以上停まっていた。釣竿や釣具を販売している釣具メーカーは利益になるだろうが、河川や道路を管理している自治体はその恩恵を受けられているのか気になった。山道の最後の方で後方からきたエクストレイルが車間距離を詰めて来た。こんな場所でする運転ではないとげんなりしながら道を譲った。直ぐに突きあたりの登山口の立派な駐車場に到着した。

雨竜沼湿原登山口は管理棟や山小屋も綺麗に整備されており、その人気ぶりが伝わってきた。2021年に登った斜里岳と似ている感じがした。途中コンビニで買おうと思っていた行動食など食糧は、あいにく途中で購入する場所を見つけられなかった。車にあったカップラーメンを登山前に食べてそれで乗り切ることにした。

受付で協力金を支払ってポストカードをもらって出発。受付のおじさんが親切に、熊がいることもあるけど刺激しなければ大丈夫、と教えてくれる。登山道は綺麗に整備されており、整備途中のところもあった。登山道は重機など入ってくることができないため基本的に人力で作業していることを考えると、その大変さは一般道の比にならない。協力金は500円と少額だったことが気がひけるぐらい2つある吊り橋も登山道も綺麗に整備されていて、非常に登り降りしやすい登山道だった。

ペンケペタン川の側を小一時間ほど登ると湿原の入り口にたどり着いた。急に視界がひらけて広大な湿原が現れる。目の前がドラスティックに展開し、思わず声が出てしまう。湿原の中には1周約3.5キロメートルの木道がある。整備された木道は途中から一方通行になっており、時計回りに思い思いの速度で歩くことができる。前方を歩いている若い男性らと接近し、時にはすれ違いながら歩く。心地よい。途中で展望台への分岐があり、500mほど登ると木陰の展望台に辿り着く。休憩している人たちに混じってザックをおろして木陰で涼んだ。今回はそこまで行って登り終えてあとは降ることにしている。展望台から先は南暑寒岳への登山道になっている。木道の左右の景色は一面湿原が広がっており、湿原の泥炭層にできる池沼である池塘が湿原の中に点在し、ペンケペタン川がのんびりと蛇行しながら流れている。直射日光を全身にうけながら、この世の天国のような景色を堪能した。登山客も多く、木道沿いにある展望台は人がいっぱいだった。標高850メートルということで、登山と考えてもそこまで気負わずに登ることができて拝める景色としては価値が十分にあると思った。往復で4時間程度の行路だった。車に戻ってゆっくりと山道を降り下界に舞い戻った。雨竜町から国道275号に入り、出発したのと同じ道を通って帰路に着いた。合計800キロの行程だったが、過ぎ去ってゆく景色と地名と風を感じて、知らない場所がさらに増えた。このあとどれぐらいの景色を見ることができるだろうか。

更新履歴
2022/06/12 記載
2022/09/14 その他追記、写真追加
2022/09/04
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