#232 / 神恵内 竜神岬 龍神社

神恵内 竜神岬 龍神社

住所
〒045-0301 北海道古宇郡神恵内村トラセ1286
緯度、経度
43.136682, 140.427937
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

竜神岬

神恵内集落の南、トラセ地区突出した岬。古宇の入江を形成し、古宇川河口域となっている。かつては弁天崎と称され、「罕有日記」(※かんゆうにっき)に「兜崎より二里斗り、弁天崎を廻り、崎は細き平態にて祠堂あり」と記される(安政四年五月二九日条)。明治九年(一八七六)ニシン漁場を経営する田中福松が青森県小湊(現同県平内町)の八大竜王神宮より分霊を勧請、翌年当岬の社殿を建立して祀り、古宇海岸の守護神としたことから竜神崎と称されるようになったという。神恵内港に近く、漁船の進路目標でもあったことから、漁業関係者の信仰を集め、竜神講が結成され、毎年一月八日に定例祭が執行される。

平凡社「日本歴史地名大系第一巻 北海道の地名」2003 平凡社
参考資料・情報など
日本歴史地名大系第一巻 北海道の地名
平凡社「日本歴史地名大系第一巻 北海道の地名」2003 平凡社
現地確認状況
確認済:2020/07/04
その他

当丸沼から下ってGoogleMapを頼りに向かう。場所は明確なようで、車で通ってもそれらしき建物は全く見つからない。 草を刈っている男性がいたので話しかけてみると、丁寧に道を教えてくれた。 民宿の看板脇から下に下るといいという。毎年その男性が社までの道を整理してくれているようだ。 車を商工会の駐車場において目指す。当丸沼でフィルムをすべて消費してしまったので、中判カメラは置いて身軽に気軽に目指したが、踏み跡は途中まで明瞭ながらも藪漕ぎになった。 途中から目的地を誤り、先ほど道を聞いた男性の家らしきところについたが引き返し、今度は海まで降りて古びた建物を覗いてみる。 龍童舎と見えるが、番屋のような雰囲気。鳥居が左手上に見える。そこから横着して無理やり藪を漕ぎながら丘を登る。 葦を手掛かりにするも引っ張るとすぐに抜ける。 なんとか蜘蛛の巣だらけになりながら踏み跡を見つける。 そこからは社まで明瞭な踏み跡がついていて、それを頼りに鳥居をくぐる。 海が見え、立派な袋澗が見える。 かつてのニシン漁で栄えた場所の、そこから積み重ねてきた人の手と環境とが織りなしてきた雰囲気が押し寄せてくる。 フィルムがないことを悔やむ。

高台に吹く風が気持ちよく過ぎてゆく。 海岸に降りる踏み跡がいくつかあった。 岩と海水とによって形成されたその海岸線の持つ様相の独自さに見惚れる。 同じ場所はなく、同じ時間もなく、同じ景色はない。

社には龍神社とわかるものはなかったが、そこにある鳥居の様子でしっかりと受け継がれてきていることが伝わった。 場所が場所として存在するのはそこに人がいて、風景となるからにほかならない。 誰のものでもなく、そして自分自身であるその景色は、見ているものに多くを示唆してくれる気がした。

汗ばんだ体を動かしてもと来た道を戻った。 知らない場所を歩くときはいつも果てしなく遠く感じる。 戻るときはあっという間にたどり着くように思える。 知りたいためにその場所に立ちたいのだろうか。 そこに立った時何が知れるのだろうか。 何一つわからない。でも視覚の欲求には従順でありたい。 そこで何かが見えることで自分の存在の不確かな広がりを楽しむことができる。

関連:神恵内 当丸沼と竜神岬


岩内を後にして、先週に続いて神恵内に行く。 岩内からだと三十キロもなくてすぐにつく。 夕方まではまだ時間がある。16時ぐらいで日差しが強い。 前回と同じ商工会の駐車場に車を止めて、民宿の脇から踏み跡を下る。 藪は濃い。先週来たばかりなので不安なく草をかき分けて前に進む。

突然視界が開ける。 先週道を聞いたおじさんが「まだ草刈りをしていない」と言っていたが、今日草を刈った後だった。 道がとても広くて歩きやすい。 撮影を終えた後、綺麗になった道を歩いて戻った。

龍神社の手前、草が濃かったところまできれいに草刈りされている。 龍神社に午後の光が当たって輝いている。 崖の下の水も青く透き通っている。 車で来る途中に海でテントを張って遊んでいる家族の姿が垣間見えた。 初夏のような風。海には蚊がいないので、虫刺されの心配なく景色と対峙することができる。

前回はフィルムがなくて撮影ができなかったが、今回は残り5コマもフィルムが残っている。 一枚上で撮影した後、元来た道を少し戻って、下に続く踏み跡を辿って海に出た。 小石の間から磯虫がたくさん影に逃げてゆく。 袋澗の後を右手に見ながら、岬の先端のほうに歩く。 青い水をたたえた袋澗に着く。 岬の上から見えていたものだが、近くで見ると思ったよりも大きく深い。 ここにどれぐらいの鰊が保存されたのだろうか。

強い日差しを受けながら、あたりを散策して写真を撮る。 気持ち良い。 ここに泊まったら気持ちよく眠れそうだ。 神恵内の町が袋澗の先に見える。

風が出てきて、写真も撮り終えて元来た道を戻る。 草刈りしている道をたどって、前回道を聞いた民家の方に歩く。 野良仕事をしていたおばあさんに声をかけて龍神社について聞いてみると、向かいの家の主人が管理しているという。 話をしていると役場の人が小走りに来たので、礼を言って向かいの家を訪ねてみる。 玄関前に草刈り機が置いてある。 今日はこれで草を刈ったのだろう。 玄関から声を出したりノックしたりして大声で呼び掛けてみるが反応がない。 出かけているか、寝ているかと諦めかけたらさっきの役場の男性がこちらに向かってきた。 そのタイミングで家から優しい顔をしたおじさんが出てきた。 役場の人は今日の朝一時に近くのトンネルで出た熊の話をして、注意を呼び掛けていた。 近所の家を一軒一軒回って声がけしているのだろう。とても良いやりとりを見た気がした。 町内放送でもそのことが告げられたらしく、問題ないと受け流していた。

役場の男性が小走りに立ち去ってから、軽く自己紹介をして、先週も来た者で龍神社について教えてほしい旨伝えた。 近いところに住んでいるので管理しているというおじさんは、明日来たら中を見せられるよ、と言ってくれた。 残念ながら明日は所用があってくることができない。 次来るときにもしいれば中を見せてくれるという。 中には八大竜王さんがご神体としてあるという。 ニシン漁で栄えた際に建設されたもので、信者さんはだいぶん死んでしまったけれども、今でも神恵内のお祭りに合わせて旗を立てるという。 地元の漁師さんは今も信仰しているとのことだった。 当丸沼とは関係ないとのことだった。

社の左下にある番屋のような龍童舎とかけてあった小屋についても聞いてみた。 龍神社とは関係なく、土地の持ち主は子どもや孫が来て遊ぶことがあるという。 もう使っていないかと思いきや、昨年も来たと言っていた。 いわば道楽小屋といったところだろうか。

国道からは見えない藪をはさんだ先には、開拓時代に営まれてきた時間の流れが今もなお流れ続けている。 車で走っているだけでは見えない、豊かな風景が今もそこにある。

更新履歴
2020/07/04 記載
2020/07/13 その他追記
2020/7/4
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