#209 / 平岸の精進川水門わきの龍神様

平岸の精進川水門わきの龍神様

住所
札幌市南区澄川2条5丁目7
緯度、経度
43.010971, 141.360496
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

一.精進川水門脇ニ「龍神山祠」勧請スルノ件

福嶋利雄「札幌市豊平外四箇村聯合用水組合沿革誌」1943 札幌市豊平外四箇村聯合用水組合 pp. 49
由来2

昭和5年、四か村聯合用水組合総会は、そのことで精進川水門わきに「龍神山祠」を歓進するの件を提案、いわゆる「雨乞い」をすることになる。

精進川をさかのぼること、およそ二十キロメートル、そこに一二五一メートルの空沼岳を見る。水不足のもとをただせば、そこに雨が降らないのが原因である。人々は水門わきもさることながら、水源の山に直接祈ろうと考える。

まず、四か村からえらばれた五十人の男達が、揃いの白い装束をつけ、一様に修験者になったような気になる。

毎年、それは雪解け水がなくなる6月になって行う真剣な年中行事であった。

つぎに、屈強な男達によってご神体が背負われる。ご神体、実は竜神をまつる軟石で、目方はおよそ四十キログラム。そうして、他の男達は、御神酒をはじめ、供え物を背負う。

空沼岳に達して真簾沼に至ると、うやうやしくご神体をおろす。供物を神前に供える。一緒に行った神官とともに、「今年もまた、どうぞ水不足のおきませんように」と祈る。

川上の東裏はもちろん、川下の上白石の者に至るまで白装束の男達は、いとも敬虔なそぶりで祈る。

このような風習は、ここだけのものではなくて、近くでは、石山常盤地区にもそれがあったといわれている。

東裏親交会「さなぶり」1980楡書房 pp. 49
参考資料・情報など
「札幌市豊平外四箇村聯合用水組合沿革誌」
福嶋利雄「札幌市豊平外四箇村聯合用水組合沿革誌」1943 札幌市豊平外四箇村聯合用水組合
平岸百拾年
澤田 誠一「平岸百拾年」 1981平岸百十年記念協賛会
さなぶり
東裏親交会「さなぶり」1980楡書房
現地確認状況
未確認
その他
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更新履歴
2019/03/14 記載
由来2 追記
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