#138 / 八雲町 黒岩の奇岩

アイヌ人に「神の石」(シュマカムイ)と呼ばれ信仰の対象となっていた。黒岩に竜神を見たという話もある

住所
二海郡八雲町黒岩
緯度、経度
42.362725, 140.289127
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

黒岩の伝説 そのⅠ 八雲市街地周辺は、昔ユーラップといったが、ここのコタン(集落)は、室蘭に居た人たちが来たのであるという。その移住のときにちょうど駒ヶ岳が噴火して、降灰のため舟が進まなくなってしまった。そこでコタンの長は神々に酒を上げ、無事に目的地に着けるよう祈ったところ、急に何者かが一同の乗っている舟を背負って走り出した。しかし、あまり早くて舟がひどく揺れ、転覆しそうになったのでまた祈ったところ、今度は静かな者に肩を替えてくれたので、揺れることなく無事に黒岩に着いた。それから神の使いによって無事に着いた黒岩の地を尊いものにしたという。(高倉新一郎輯)

もう、一説には、

サル(沙流)に、男兄弟六人と女の姉妹六人の、宝物をたくさん持ったアイヌの兄弟たちが住んでいた。ずいぶん勢力のあった家だったが、村のアイヌたちはこの家をねたみ、ことごとく兄弟たちに意地悪をし、敵にしていた。

このため兄弟たちは、サルに居づらくなって旅に出、舟で室蘭に来たとき、一番上の姉は室蘭の男と結婚した。残りの一一人の兄弟たちが室蘭から舟出したとき、駒ヶ岳が噴火してたくさんの軽石が湾内に流れ出し、舟は全く動くことができなくなってしまった。兄弟たちは力を合わせて一生懸命に舟を押したが、結局どうにもならなかった。そこで一番上の兄が、男のカミギリ(海の神)に祈ったところ、鯨が出て来て先立ちし案内を始めたが、潮が早くて舟を操ることができなかった。次に二番目の兄が女のカミギリ(海の神)に祈ったところ、女の鯨が出て来て今度はうまく舟を動かすことができた。そしてポンシラルカに舟を着けてここに住むようになった。ポンシラルカとはシラルカ川(黒岩)の南の方にある小さな川の辺りで、シラルカとは岩を意味し、黒岩のことをシラルカという。シラルカに対するポンシラルカは、小さな岩を指したものである。

(都築重雄「八雲の地名と伝説」ゆうらふ六号)

黒岩の伝説 そのⅡ 黒岩は昔ルクチといったいそで、ここに大きな黒い岩があるので、和人が黒いわというようになった。

昔トイマコタン(遠い異国)のアイヌたちが、サントミ(軍勢)をまとめて舟でここのコタン(集落)に夜討ちをかけてきた。いよいよ岸に近寄って上陸しようとすると、目の前にたくさんのアイヌがたむろしているのに驚き、われ先にと舟をこいで逃げ去り、コタンは何の被害も受けなかった。トイマコタンの連中が敵と見たのは、実はルクチの黒岩の姿であった。このためアイヌたちは、コタンを守ってくれるシュマカムイ(石神)として崇拝し、イナウ(木幣)を祭って礼拝したという。(菅江真澄「蝦夷廼天布利」)

大正時代、黒岩の海岸を通りかかった一人の女性が、――岩の上に立つ竜神を見た――といううわさが広がり、地域の人びとは大漁や海難防止を祈願しようとして、昭和初期に岩の周囲にさくを設け、小さなほこらを建てて御神体を安置した。しかし、この岩は波をかぶるためにほこらの損傷が激しく、黒岩神社に移した御神体を除いて跡形もなく波にさらわれてしまった。昭和四八年、住民によって再建計画が立てられ、岩の上に赤い鳥居とほこらが設けられ、それを結ぶ橋やあずま屋なども建てて入魂式が行われた。

八雲町史編さん委員会「改訂 八雲町史 下巻」1981 八雲町長 牧野貞一
由来2

黒岩 地名。

①山越郡八雲町内。海岸にある黒い岩をアイヌがクンネシュマ<黒い岩>といい、そのまま訳したという。ここには、昔、元室蘭(地名)にいたアイヌが移住したと伝えられ、そのとき駒ヶ岳の噴火による降灰で舟が進まず、酋長が神に祈ると何者かが舟をかついで走り出し、あまりゆれるのでまた祈ると、今度は静かにかついでくれて無事に着いたという伝説がある。

南北海道史研究会編「函館・道南大辞典」1985 株式会社国書刊行会
参考資料・情報など
改訂 八雲町史 下巻
八雲町史編さん委員会「改訂 八雲町史 下巻」1981 八雲町長 牧野貞一
函館・道南大辞典
南北海道史研究会編「函館・道南大辞典」1985 株式会社国書刊行会
北海道縁起物語
小林成光「北海道縁起物語」1992/5/1 有限会社 小林興業社
現地確認状況
2019/09/14 確認済
その他
函館に向かう道中に立ち寄る。ナビをしていたものの、曲がることを示した先があまりにも狭い道路だったためやり過ごす。その先車を走らせてもそこにはいけなさそうだったのでUターンする。 高架の下道を1~2分ほどですぐに祠が見える。1mほどの防波堤を横切って到着。 遠浅の海岸にそこだけ石がにょきっと生えていて、その左わきにある小さな松林の中に祠が見える。 掘られた文字が識別しずらい石板の前を通って朱色の鳥居から渡って祠を拝む。祠はドアは開いたがご神体はすだれの奥に隠れていた。挨拶をして扉を閉じる。 眼前には海が静かに広がっている。 背後には国道が通っているものの誰もいない。 列車が通っているのも見える。砂浜が広く、海がとにかく綺麗で、家族とともに偶然独り占めできて景色を楽しむことができた。 波の音は静かでも、100mも離れると声は波音にかき消されて聞こえない。 音の大きさとうるささとはまた別の基準のようだ。 立ち並ぶ岩の一番高いところに「御即位記念碑」が立っている。 その横に掘られている文字は識別できない。 少なくとも天皇の価値がその高さから読み取れる。 岩の上にある祠は昭和48年に再建されたものだという。最近のようにも思えるが今から40数年前ということになる。 若い人から見るとそれは大昔のことになるのだろう。 自分が年齢を重ねるにつれて、昔のことと最近のことの基準が良くわからなくなってゆくばかり。 昔とは何か、今とは何か。 とにもかくにも、とても良い景色の静かな場所で、そこでかつてあったアイヌの営み、和人の営みを想像するのに十分な魅力のある場所なので近くを通った際はぜひ立ち寄ってみてください。 (2019/9/16)
更新履歴
2016/12/22 記載
2017/01/02 由来1更新
2017/01/06 由来2記載
2019/09/16 その他記載、写真掲載
2019/09/14
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