かつて江差町各地で行われていた虫送り習俗の一例。虫送りは龍神信仰と少なからず関係があることから掲載
九十八話 「虫送り」の川
「神送り」という神事は、古くから数多く行われてきた。病気はみな悪い神様が運んでくるのだから、早くこれを集落の外に送り出さなければならない。南部の「疫病神送り」の習俗はその典型であった。この神送りの一つが「虫送り」である。
北海道では極めて珍しく、厚沢部川地域にこの「虫送り」の習俗が戦後まで残っていた。安政期に松前藩の勧農政策により、越前、越後から入植してきた人々が、故郷の習俗を伝承してきたのであろう。
橋や畑の作物につく害虫を駆除するには、神頼みでそれをはらってもらうしかなかったのだ。
越前の町に伝えられた「虫送り」の神事はこうだ。
田植えが終わって、害虫の発生が心配される初夏、七月二日、まず、木を組んで長さ一尺、幅五寸位の舟を造る。舟は粢(せい)で作った船頭や舵なども付ける。舟にはキャベツや菜葉に付いた青虫をとって半紙にくるんで乗せる。川岸にはたくさん旗を立てて、太鼓を叩きながら祝詞をあげて街をねり歩く。唱えた祝詞は、
「虫送り送るよ、虫送り送るよ!
奥尻まで行ってくれろ! 虫はつかないでくれよ!」
農薬のない、何の頼るものもなかった時代、害虫に襲われずに豊作を願って、大人も子供もこんな声をあげながら、街から田畑の細道をねり歩いたのだ。この「虫送り」は、やり方は少しづつ違うが、柳崎、大谷地、鮮川など地域一帯で行われていたという。
「虫送り」の送り先が奥尻だった。奥尻にとっては迷惑な話であるが、情報の無かった時代、辺境の極地は遠い島だった。天明六年(一七八六)の正月、南部で書かれた菅江真澄の日記『かすむ駒形』に、類型の祝詞がみられる。これは、小正月の神事として「虫送り」と同形の「鳥追い」を記録したものだ。害虫と同じく、せっかく実った稲を食い荒らす鳥も農民の敵だったから、やはり「神送り」の対象だった。小正月の明け方になると、子供たちは細竹を箕(み)を叩きながら「鳥追い」の唄を唱える。
「早稲鳥ほいほい、おく鳥もほいほい、もの喰う鳥は、頭割って塩せて、遠島さへ追てやれ、遠しまが近からば、蝦夷が島さ追てやれ」
江差民話研究会編「江差百話 江差の民話・伝説・史話」1993 江差民話研究会
「あらゆるアラムシ」をガツギという草で作り、もっとも大きいものをリュウオー(竜王)と称して当日かついで練る。(和歌森 太郎編「津軽の民族」 1974 吉川弘文館) とあるように、ここでいう虫とは竜蛇信仰と少なからずかかわりがある。