アイヌコタンの守り神である白い龍神様を沼の淵に祠をたてて祀ったことに始まる
神社境内に白龍神社が鎮座しています。
白龍神社の由来
松浦武四郎の記録によると野深には13戸のイカペッコタンとヌプカコタンの二つの大きなコタンがあったとしるされています。
口碑伝承
「この野深コタンの真向かいに高いポロイワがある。この山は神様の山、カムイヌプリとよんでいた。この山の中腹に沼があり、昔コタンの人達は木を切ったり仕事をしていた。
あるときコタンの酋長の娘がこの沼に水を汲みに降りていったがなかなか帰ってこないので見に行くと息絶えて倒れていた。
タンカをつくっりそれに乗せてコタンに連れ帰ったが、さっぱりよくならなかった。酋長が無理にそのわけを聞くと、息絶え絶えの中から次のような恐ろしいことを語りだした。
「水を飲もうと沼に降りてゆくと、沼のなかにに流木のような大きなものがかすかに動いており。よく見るとまっかな鶏のとさかのようなものを頭に付けた怪物がぐっと首をもたげて私を見つめていたのです。その瞬間気絶したのです・・・・・」
言い終わると息をひきとった。
その瞬間にわかに暗くなり物凄い雷雨となった。それもほんの少しのことで、また空は明るくなりもとの静かなコタンとなった。
コタンの古老達はこの不思議な沼の怪物こそ白い龍神様ではないかということになり、コタンの守り神として沼の淵に祠をたてて祀った。」
祠はいつの日か沼の淵から麓に下ろされアイヌの守り神として祀られてきました。
その後野深の現共栄産業の裏手にある大樹の下に祠が移され、例祭には多く名アイヌの人々が集まり祭りの儀式が行はれていました。
生け捕りにしたクマの霊魂を神の国に送り返す、アイヌ民族の伝統儀式「イオマンテ」もとり行われていたと云われています。
祭りを司っていたアイヌの人々の多くが高齢化して祠の存続がきびしくなり野深神社の敷地に神社を建立し白龍神社として奉祭しました。
例祭は野深神社と同日に行い、維持、運営は自治会が行っています。
参照引用文献 浦河町史 コタンを訪ねて(山本融定)
浦河の神社 (18) 野深神社 : うつつの旅といにしえへの旅