大正期に石河源次郎の漁場で網に龍の形をした石が入り引き揚げて龍神として祀っている
大正元年10月、石河源次郎が京都伏見稲荷神社より御分霊を戴き奉斎したことに始まる。また大正期に石河源次郎の漁場で網に龍の形をした石が入り引き揚げて龍神として祀っている。同9年9月6日、黒田恒蔵が下総国佐倉宗吾霊社より御分霊を戴き増祀した。昭和6年に地元住民協議の上で辻崎家所有地に7坪ほどの拝殿を建立し移転遷座、知床神社と称するが、昭和14年、字名改正により萩野神社に改称した。同36年宗教法人設立とともに天照大神を増祀、同45年8月12日に現在地に社殿を造営し移転遷座する。
萩野神社
2019/8/25再訪。 ちょうどお祭りの日で、神社の近くでおみこしの準備をしている。のぼりが立っている。冬の終わりに立ち寄った時は閑散としていて手入れがされていないように感じたが、みこしの多さ、関係する人の多さから、今も丁寧に地元の町内会連合によって管理されていることを知る。 氏子の方に話を聞くことができた。 石のことを聞くと、ここには石は祭っていないという。 もともと荻野神社はもっと山にあったが、2度引っ越しをして、30年ほどまえにこの場所に来たという。 石を祭っているのはここではなく、苫小牧のほうに道をまっすぐ行ったところにある地蔵尊ということを聞いた。 この日は手に入れたばかりの原付で札幌から2時間強かけて白老まで来た。海岸沿いでちょっと休憩したのち、バイクにまたがって地蔵尊を目指した。
おみこしとすれ違いながら、ほどなくして地蔵尊に到着。富岸中央海上地蔵尊というらしい。 お祭りの準備でだろうか、氏子の方は扉が開いていないかもとおっしゃっていたが、ドアを引くと鍵がかかっていなくて中に入ることができた。 お賽銭を入れて手を合わせる。奥に服を着た石地蔵の姿がみえる。 壁に由来が張ってある。先ほどの氏子の方の話と合わせると、こちらが引き上げられた石を地蔵として所として祀っているところの可能性が高そうだ。 記事をカメラで撮影する。ボロボロになった龍の巻物があり、対象12年に掘られたという龍の木彫も見える。 Web上には情報がほとんどないようなので、資料をあたってみよう。 そのあと、飛生へ。白老にある村のコミュニティーに触れてのち、芸術というコミュニティを体感させてもらう。 (2019/8/26)