#092 / 小樽 大蛇を殺した娘

小樽の祝津の洞窟に住んでいた大蛇を犬と共に退治したはなし

住所
小樽市手宮
緯度、経度
43.236502, 140.997872
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来
北海道庁編「北海道の口碑伝説」1940 日本教育出版社
由来2

大蛇を退治したシトナイの話 -小樽-


奇岩・怪石がたくさんある小樽・祝津の赤石に一つの洞窟があります。

そこには今も白竜大権現がまつられていますが、そこに行くには、鉄のはしごやくさりを頼りに、危険をおかさなければ行くことができません。

むかし、この洞窟に大蛇がすんでいました。身の丈は七、八丈(二十二・三メートル)、胴の太さは四斗樽ほどでした。夜な夜な村に出て来ては人をさらい、作物を荒らすので、村人はいつも不安な毎日を送っていました。少しでも大蛇からの被害をなくそうと、熊の肉や鹿の肉などをお供えして祭りをしてみましたが、いっこう効き目はありません。そんなある夜、大蛇は村人の夢枕にたち”十二、三歳の無垢の娘をくいたい”というのです。村中大さわぎ、しかし相変わらず被害が絶えないので、やむをえず、村の娘達を毎年一回、八月十五日の日に供えることにしました。

こうして、すでに九年たち、九人の娘がいけにえになったのでした。そして十人目の娘を供える祭りの日が近づいてきました。

アイヌの村長の末娘、シトナイが、このいけにえの話を聞き、父や母に、

「私は、六人姉妹の末娘です。生きていても、家のため、ご両親のために何のお役にも立ちません。いけにえとなって、コタンの役にたつなら本望です。どうぞ、私が大蛇のいけにえになることを、おゆるし下さい。」

といいました。父母は愛しい娘の願いをとても許すことが出来ませんでしたが、シトナイの決心は堅かったのです。シトナイは切れ味の良いマキリ(小刀)と猟につれて行く猛犬をつれて、家を出ました。赤岩に着いたのは、夕やみ迫る頃でした。シトナイは十五夜の月が出ないうちと、数十メートルの岸壁を、なんの苦もなくよじ登り、その洞窟へ行き、持って来た熊と鹿の肉を入口に供え、岩かげに身をしのばせて、ようすをうかがっていました。満月がだんだんと頭上にのぼりはじめ、山や海を照らすその時、天地もくずれんばかりの響きとともに大蛇はランランと両眼を太陽のごとくに光らせ、穴の口に出てきました。大口をあけ一気に熊の肉をくいつくすや、次に鹿の肉にくいかかろうとした。その時岩かげのシトナイは、愛犬を放しました。ひと声高くほえるやいなや、犬は猛然と大蛇に飛びかかり、しばし組み争っていましたが、遂に大蛇ののどにかみつきました。急所の痛手にたえられなく、さすがの大蛇もとうとう動かなくなってしまいました。シトナイは、かくし持っていたマキリを抜きはなち大蛇にとどめをさし、洞窟へと入っていきました。中には今まで犠牲にとなった九人の娘の骨が散らばっていました。一つ一つ拾い集めながら、シトナイは、

「いかに女のみとはいえ、大蛇にくわれるとは、情けなや、情けなや、何と女とは弱く、悲しいものよ。」

と悲しく、叱りをこめていうと、骨を背負い、愛犬を従えて家に帰って行きました。

この時から、村に平和な生活が訪れましたが、あとのたたりを恐れて、この洞窟に白竜大権現をお祭りすることになったということです。

(北海道の口碑伝説)

北海道口承文芸研究会編「北海道昔ばなし 道央編」1989 中西出版
参考資料・情報など
北海道の口碑伝説
北海道庁編「北海道の口碑伝説」1940 日本教育出版社
北海道昔ばなし 道央編
北海道口承文芸研究会編「北海道昔ばなし 道央編」1989 中西出版
現地確認状況
2017/6/11 確認済み
その他
関連:#004 / 小樽市 赤岩山 白龍神社
更新履歴
2016/10/01 記載
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