地蔵様を川へ担いでいって水浴びさせて雨乞いした
文月地蔵堂
文月地蔵堂の創立年は不詳だが、大正3年(1914年)編纂の『大野村史』によると、明治8年(1875年)
4月、有志の寄付にて21坪の木造茅葺きの堂宇を建築。同30年には7坪を増築し、留守僧も常置していた。
本尊は地蔵尊、釈迦如来、阿弥陀如来で、上磯町清川の禅寺から如来像を譲り受け、禅宗と浄土宗の合同
形式をとったという。今は留守僧もいないが、墓地だけは寺の土地として管理されている。
北海道水田発祥の地である文月地区には、この地蔵にまつわる奇妙な雨乞いの話が伝えられている。
日照りが続き、手の限りをつくしたが効き目がなく、ある日、村の名主の発案で、地蔵様を川へ担いで
いって水浴びをさせることにした。翌朝、函館山の方に黒い雲が見えたかと思うと、みるみるうちに雲が広
がり、大粒の雨が降り始めた。雨は一昼夜降り続き、翌日カラリと晴れた。
村の人々は涙を流さんばかりに喜び、さっそく地蔵様を川から揚げて元の所に納め、お礼を言った。その
後、地蔵様は何度も川に入れられたという。
平成16年11月吉日 大野町教育委員会
文月地蔵堂
最後に郷土での、珍奇な雨乞いの風景を、ただひとつ紹介することとする。日照りが続き手のかぎりを尽くしたが、ききめがどうしても現れなかった。村の名手の発案で、このうえは地蔵様におすがりするより、ほかがないということになった。平素村の重鎮として信任厚い名手の一言に、人々はなるほどと思ったが、方法を聞くと地蔵様をかついで来て、川で水浴びをさせることだという。名手はじょう談を言って、われわれをからかっていると村の人は笑ったが、名手の真剣さがわかると、早速これを実行することとなり、村の若い衆が総出でかつぎ込み、名手のいうとおりに川下に向けて水浴びさせた。
翌朝函館山の方に黒い霧が見え始めたかと思うと、見る見るうちにひろがり、大野をめがけるように進んで来て、たちまち大粒の雨が降り始めた。一日中降ってもやまないので夜通し降り続け、翌朝からりとやんで青空が見え出した。村の人びとは涙を流さんばかりに喜び、早速名手の家にお礼に行くと、わしに礼をいうよりも地蔵様にお礼を云いなさい、と名手はいったという。村の人びとは早速地蔵を川から揚げて、もとのところへおさめて、お礼を申し上げたことはいうまでもない。この話は文月に伝わる昔ばなしで、ほんとうにあった話しだと文月の古老は語るのである。その後なんべんも地蔵様が文月川に入られたという。
飯田吉次郎編「大野町史」1970 大野町(北海道亀田郡)大野町役場