人々が寄木で作った蛇のすみかの塚
室蘭本線が長い礼文華のトンネルに入る前の海岸に寄木塚(ネツヌシヤ)というところがある。昔駒ヶ岳のふもとの沼の蛇が内浦湾を泳いでここに遊びに来るので、寄木で塚を作って蛇のすみかにしたのだとも、魔人(ニツネカムイ)が流木を積み上げ祭壇を作るのだともいう。
更科源蔵・安藤美紀夫「17 北海道の伝説」1977 角川書店
七日 たいそうよい凪だと、アイノがつるでとじあわせた舟をさしてよせてくれたので、それに乗り、すぐ前の小川から漕ぎだして、磯の方にみえる山をながめながら遠ざかった。この山の残雪のかたちは王余魚(かれい)に似ている。アイノのことばでかれいのことをシヤマンベというが、斑雪の形をいうのであれば、砂王余魚(ヨダシヤマンベ)というべきであるのを略して、オシヤマンベという浦の名であろう。
行くうちに、流木をたかく積みあげたところがあり、シモヤはこれを寄木塚といい、アイノはこれをネツノシヤという。むかしカヤへ(茅部)の湖水に竜蛇(オヤヲ)という神蛇(トコカムイ)のぬしがつねにすんでいて、ときには海をわたって、この浜にきてわだかまっていたので、行きかう人もメノコ、ヘカチ(女子供ら)はおそろしがって、このあたりを舟にのって通ることさえしなかった。それをアイノたちはたいへん心配して、木幣(イナヨ)をささげ、カムイノミ(神を祀って酒宴をすること)して、「オヤヲ、いまからここにけっして出でまし給うな。身をかくしてくださる料として、ここを行きかうもの、メノコ、ヘカチに至るまでみなが、よせる波の浮木をひろい積み奉ることにしよう。オヤヲ、なにとぞ荒ぶる心を和めて鎮まり給え。またアイノらのコタンを護り給え」と、大ぜい居ならんで、手をすり、レキ(ひげ)をなでて供物をささげたところ、オヤヲをそれからここにいてますことが絶えてなくなったとか。この寄木塚は、みずおろち(水の神蛇)の住家であるという。海の荒れる日は、寄木はすっかり波にさらわれるが、なぎがつづくと、またもとのように流木が山をなすといわれている。
菅江真澄 / 内田武志・宮本常一訳「菅江真澄遊覧記(2)[全五巻]」1966 平凡社
寄木塚 アイヌ伝説。
長万部と静狩の間に浜中という所があり、ここにネッシャ<寄木塚>の伝説がある。昔、対岸の砂原から蛇の主がやってくるので、人々は流れ寄る木を積み重ね、木幣(イナウ)を立てて、どうかこの木に身を隠して姿を現さないで下さいと祈ったところ、蛇はそのようにしたという。また別に、漂着した死体を処置して流木で墓標を造ったものだとか、さまざまの説がある。海が荒れて流されても、またいつの間にか寄り木の山ができるのだという。
南北海道史研究会編「函館・道南大辞典」1985 株式会社国書刊行会