#058 / 知内町 雨乞いの松

お酒を供えて祭ると数日以内に大雨が降る老松の木

住所
上磯郡知内町元町232 雷公神社社務所
緯度、経度
41.595716, 140.413679
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

知内に雨乞いの松というのがある。

今から五、六百年前、甲斐飯原の領主荒木大学が金山見立てのため渡海するさい金山祭のために大野了徳院という修験者をつれてきた。そのごアイヌ乱のため大学ら金堀りたちは全部討死したが、了徳院はホマカイというアイヌに助けられた。そのご鮭などを獲って生活していた了徳院は、死ぬときに、自分の屍は川畔に埋めてくれ旱魃のときは必ず雨を降らすからと遺言した。それは大水のときほど鮭がとれるのを知っていたから、旱魃での不良を救ってやろうとしたのである。遺族はそのとおりに死体を川畔に埋め、墓印に石をすえ、記念に末を植えた。この石を神体としたのが雨石神社で、昭和十六年に移されていま雷公神社に合祀されている。

松は雨乞いの松といわれ、旱天が続いて困ると、人々はこの老松にお酒を供えて祭り、あるいは御神体の雨石を捧げて川上に行って祈祷して川に入れると、不思議や数日のうちに大雨が降ると信じられている。

須藤隆仙「北海道の伝記」1971 山音文学会
由来2

木古内町の隣り知内町の雷公神社に合祀された雨石神社のもとの所在地に、雨乞いの松という大木がある。応永年間、近くの大千軒岳で金鉱が発掘されたとき、いっしょに入った修験者の一人が、コシャマインの乱のときアイヌの人に助けられ、付近に移住して生涯を終わるとき、旱魃の年には雨を降らせてやるから川岸に埋めてくれと遺言をしたので、遺族が遺言のとおりにし、墓印に石を置きかたわらに椴松を植えた。雨石神社はこの石を祭ったもので、旱魃の年にこの松と御神体の石に御神酒を供えると、雨が降り豊漁であるという。

更科源蔵・安藤美紀夫「17 北海道の伝説」1977 角川書店
由来3
中島峻蔵「北方文明史話」1929 北海出版社
由来4
北海道庁編「北海道の口碑伝説」1940 日本教育出版社
由来5

雨乞いの石 -知内-


むかしむかしの知内のお話しです。知内というのは、北島三郎の出身地、と言ったほうがわかるかもしれませんね。

その知内に、今から七百年以上も昔のこと、甲斐の国の荒木大学という人がやって来たのです。

何でも、えぞ地の山へ行けば、どこにでも金が埋まっている、という話を聞いてやってきた、と言うのです。

荒木大学は領主であっただけに、手順を考え、エンギをかつぎ、えぞ地へ渡ったら、にぎにぎしく金山祭りをして、山の神様にお願いした方がよいとかんがえました。

それで、八幡宮の別院を守っていた「大野了徳」という修験者をつれてやって来たのです。

大学はさっそく山にはいり、金をほりはじめました。

ある年のこと、掘っている最中に地震が起きたのです。この地震、止んだと思うとまたゆれ出し、二年も三年も続いたのです。

大学は、これは、金堀りに夢中になって、神社を粗末にしたため、山の神さまがおこったのかも知れない、と考え、さっそく、神社をきちんと建てて、金堀りをさせていた了徳を呼び、神主として守るように命じたのです。

了徳のいのりが効いたか山の振動はぴたりととまり、知内のアイヌ達も、了徳を尊敬するようになりました。

それから何年かたって、和人がどんどん多くなりましたが、それにつれて和人はわがままになり、アイヌを苦しめたので、アイヌたちはとうとう我慢しきれなくなり、和人を攻めたのです。

このため、荒木大学も、使われてきた金掘り人夫たちも、全部討死してしまいました。

ただ、大野了徳一家だけが、ホマカイというアイヌにかくまわれ、助けられたのです。

戦いが終わって、外に出て見た了徳は、驚きました。すっかり焼野原になった原っぱの真中に、神社だけがポツンと残っていたのです。

了徳は感激し、私は終生、私をたすけてくれたアイヌのためにも、この神社を守って行かねばと、決心しました。

それからの了徳は、鮭のとり方をアイヌに習い、あわやひえをまく事をアイヌに教え、平和な日々を送ったのです。

了徳はいつの間にか年をとりました。了徳は、家族の者に遺言したのです。

「わたしが死んだら、尻内川のほとりに埋めてくれ。かんばつで、雨の降らない年には、必ず雨を降らせてあげたいと思う。かならず川のほとりに……。」と……。

家族のものは、勿論その通りにしました。そして墓石のしるしに、川の石を置き、とど松を一本植えたのです。

そしてその後何年かたちました。とど松はすくすくと成長しました。

そしてある年、大干ばつがやって来た時のことです。村中のみんなは青いき吐いき、そんな中で、ふと誰かが了徳の遺言を思い出し、墓石の石を川の中に入れたのです。

するとどうでしょう。一天にわかにかきくもり、ポツポツザンザン大雨が降ってきました。

村の人々は涙をこぼして喜び、このままでは恐れ多いと、この石を御神体として祠を作り、雨石神社と名づけたのです。

(北海道口碑伝説)

北海道口承文芸研究会編「北海道昔ばなし 道南編」1989 中西出版
由来6

サケの豊漁不漁は生活を左右していた。それは「雨石」の伝説にも表れている。「雨石」とは、雷公神社の初代大野了徳院を埋葬した際の塚石で、日照りの続くときに水をかけ祈願をすると雨が降ったというものである。川の水量が少ないとサケが遡上することができないため、こうした話が残るのであろう。現在この雨石は雷公神社に祀られている。

ところでこの雨石、いたずらに伝説と決めつけるものでもない。昭和60年ごろ、雨が少なく、サケがなかなか上ってこなかった。そこで実際に雨石を川に沈めて雨乞いをしたのである。その後本当に大雨が降り、川の水も増えたのである。まさに伝説を実証したわけだが、あまりの増水にサケを捕獲するウライも流されてしまったという逸話もある。

知内川とサケの関係【コラムリレー第18回】 | 集まれ!北海道の学芸員
参考資料・情報など
北海道の伝記
須藤隆仙「北海道の伝記」1971 山音文学会
17 北海道の伝説
更科源蔵・安藤美紀夫「17 北海道の伝説」1977 角川書店
北方文明史話
中島峻蔵「北方文明史話」1929 北海出版社
北海道の口碑伝説
北海道庁編「北海道の口碑伝説」1940 日本教育出版社
北海道昔ばなし 道南編
北海道口承文芸研究会編「北海道昔ばなし 道南編」1989 中西出版
集まれ!北海道の学芸員
知内川とサケの関係【コラムリレー第18回】 | 集まれ!北海道の学芸員
現地確認状況
未確認
その他
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更新履歴
2016/10/01 記載
2017/02/17 由来6追記
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