#056 / 喜茂別岳の雨乞い

日照りが続き、喜茂別岳で雨乞いを行い降雨を祈願した

住所
虻田郡喜茂別町 字喜茂別323番地
緯度、経度
42.792477, 140.936400
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

「雨を降らせた神」

日照り救われ神社造営 喜茂別


札幌から中山峠を越えて洞爺湖へ向かう途中、喜茂別町市街のはずれ、国道230号沿いの山際に喜茂別神社が建っている。この神は大旱魃に悩まされていた時、雨を降らせて生物をよみがえらせた救いの主なのだという。

喜茂別に入植者が入ったのは明治二十二年(1889年)。人びとは集落を見下ろす尻別山を伏し拝みながら、無事に開墾がすすむよう、家族がクマやオオカミなどに襲われないようにと祈った。

”事件”が起こったのは明治四十一年(1908年)春。

この年はどうしたことか雪解け後になって霜害に襲われ、畑地にタネを播くこともできなかった。いくらか暖かさを取り戻したのを見てやっとタネを播き終えた。間もなく夏がきて、こんどは日照りの日が続いた。

「これじゃ、作物が育たない。一滴でもいいから雨がほしい」

開拓民たちは天を仰いで嘆き悲しんだ。だが、くる日もくる日も太陽はかんかん照りつけ、畑の作物はおろか山々の草木まで立ち枯れになりだした。

「神にすがって雨乞いするほかに方法がない」

人々はいつも手を合わせてきた尻別山へ登り、三日間断食してひたすら神に祈った。一日たち二日たったが太陽は容赦なく照りつけている。雨の降る気配もない。断食して祈る人々の表情に絶望の色がのぞきだしていた。だがここで挫折してはこれまでの苦労が消し飛んでしまう。開拓民たちは歯をくいしばり、涙ながらに神に訴えた。

満願の日の七月五日夕方になって突然、暗雲がただよったかと思うと雷鳴とともに雨が降り出してきた。

「うわーっ、雨だっ、雨だっ」

祈願していた人々は天に向かって両手を差し出して喜び、ずぶ濡れになりながら誰彼となく抱き合い喜び合った。

この雨でぐったりしていた作物も、草木も、それから川の底が干せ上がった魚たちも、みんな生き返った。

神の恵みと感謝した集落の人々はその秋、伊勢大神宮から御神霊を奉じて羊蹄山一の宮として、尻別山麓に神社を建てた。これが喜茂別神社の由来である。それ以来、雨乞いの神としてだけでなく集落の鎮守として敬われてきた。

大正二年(1913年)、境内がせまくなったとして神社は市街の西側に移され、見放された形になっていたが、後に赴任した官選村長がそのいわれを聞いて、もとの神社敷地を国から払い下げてもらい、神殿を造営して遷座した。大正十四年(1925年)八月のことである。

この土地の人々の、神への畏敬の念はことのほか強い。

合田一道「北海道おどろおどろ物語」1995 幻洋社
参考資料・情報など
北海道おどろおどろ物語
合田一道「北海道おどろおどろ物語」1995 幻洋社
現地確認状況
2016/7 確認済み
その他

2016/7の快晴に尻別岳に登りました。 留寿都側からの登山でしたが、休日で天気も良かった為、多くの登山者で賑わっていました。 尾根沿いの登山道には終始強い日差しが降り注いでいて、とても暑かった記憶が体内に残っています。 急峻な登山道を経て辿り着いた山頂からは、後方羊蹄山が目の前にその大きな姿で迎えてくれました。 山頂付近は森林限界のためまばらに立つダケカンバの木以外は、笹が一面を覆っています。 羊蹄山を横目で見ながらの登山でしたが、山頂に登る直前の、その山頂と山頂手前の僅かな距離の中に、その山の持つ独自の情景を感じました。 近隣の別の山に登った後の飛び石縦走登山だった為、いつも以上に疲労感が全身を包み、帰路はへとへとでした。 かつての人々が現代ほどには整った道具もなく、未整備だっただろう山道を苦労をして登り、必死に祈願した姿が遠く偲ばれます。

羊蹄山麓地域観光ガイド育成事業公式ホームページ」 を見ると「1908(明治41)年には、羊蹄山の下方山林に火災が発生(雨乞いの火が原因らしい)」と、あります。 同じ地方の真狩の記事「真狩村 川崎神社での雨乞い」では雨乞いの際は火を焚いていたとあり、 干ばつの年に雨乞いの火が火災を引き起こしてしまった可能性は少なからずありそうです。

更新履歴
2016/10/01 記載
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