#045 / 厚別から空沼岳への雨乞い

厚別に住んでいた人々が、旱天続きで空沼岳で雨乞いを行った

住所
札幌市南区 空沼岳の沼
緯度、経度
不明(万計沼か、真簾沼か)
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

第二節 厚別地域の語り

(1)雨乞いの話

もう十二、三日天気が続いたら、川に水がだいたい流れないのですね。川がかわいちまって。それでもう皆んなが「雨乞いに行ってくるべ」という具合になり、それで「どこがいいんだ」と言ったら「空沼だ」ということになった。そうして、あん時、俄に思いついて空沼(岳)へ雨乞いに行ったんです。

そんなに火を焚いてお祭りするとかなんとかいうもんじゃなくて、ほんの簡単なものだったね。それでも誠心誠意、あの時だけはやっぱり真剣になってお参りして来ました。

一升を持って、苦しい時の神頼み、もうこれで何とかして雨降ってもらわなかったらという気持ちだったね。あの時は、先ず七人だけだったのですけれど。農協まで行って、何とかして雨乞いに行きたいと思っているので車を出してもらえないのだろうか? と言ったら、「いや、とっても人などつけて歩いていたら罰金とられるから駄目、駄目」と言ってもうなかなかとり合ってくれなかった。そこで、月寒の弾薬庫の連中にお願いして行こうかということになって連絡取ったが、なかなかおいそれと、今すぐ行くんだというのには間に合わなくて。すぐまた農協に舞い戻って、こういう訳だと話したら、西田さんという人が車出してくれて豊平まで乗せて行ってもらった。あれから向こうはやっぱり街に入るというとやかましいから、そこで降ろされて、電車で豊平の駅から藤の沢まで。そして藤の沢から登ればあんまり急でないから楽なんでないかということになった。その時、坂下さんという人に一升背負ってもらって、あの人が一番若かったと思うのです。それからずーっと行ったらもう夕方になってしまって、空沼(岳)で一升持って行った奴を飲んじゃって、その空瓶に沼の水を貰って来ちゃった。

木の倒れた奴があったんで、その上へ並べて、もう玉子と酒だけで、茹玉子だった。それも、竜神様は玉子が好きだからと、ちょうど下村さんが気をきかせてくれて茹でた奴を持って来てくれた。

竜神さんは、「そんな茹でたのは好きでねえんではないか」「生がいかったんでないか」「折角これしか持ってこなかったんだから、まあまあ気持ちだけは?」ということになり、そこでお参りして、そしてそのお神酒を、勿体ないと、一杯やって来まして、それを皆んなで飲んだんですね。そして、玉子はあの沼の中に投げ込んで、もうその時すでにガスがかかって来て、雨乞いの気がしたんです。

水を空沼から貰って、それをまた坂下さんに背負ってもらって、今度は常盤の方に降りて、もう本当に藪になってしまっていて、手さぐりで下まで下がって来たのは良かった。けれども……。またそこから歩くのは大変だと、ちょうど常盤の入り口の所に店があったんで、その店から三輪車を出してもらってそれに乗った。そして、あの当時、道会議員だった岩本さんに厚かましかったけれど行って頼んでみよう、何とかしてくれるだろうということになり、そうしたら心配して乗せてもらった。その時、厚別って言ったんだけれども、運転手さんはアシリベツの方ばっかり考えていたものだから、アシリベツの方へ連れていかれて、家に帰ったのはもう夜中でした。

(語り手・南出龍信 昭和五十七年四月採訪)


(中略)


第二節(1)の話は、一九五〇(昭和二十五)年の話である。この「雨乞いの話」には、後日譚がある。雨乞いに行った翌日は、からっとした天気で、その日はちょうど連合町内会の運動会であった。体中が痛く「しんどかった」と言っている。そして、翌々日、確かに雨が降ったと語り伝えている。また、札幌市空沼岳の沼から持って来た一升瓶の水をコップに入れて、一杯毎水田に播いたとも言う。「いや、それは水田に播かないで川に流すのだ」と言い合ったとも伝えている。六月の田植えの時期、熊の沢の人々にとっては、特に水の問題は土地柄深刻であった。雨が降らないと水田が地割れして大事な稲作が駄目になり、その一年は苦しい思いをしなければならないので、雨に対する思いがより強かった。

すなわち雨乞い伝説は、本州の雨乞い習俗の影響を受けて生成されたものである。火山灰地の上に造り上げた水田のために、湧水や雨水が涸れ、土壌がヒビ割れを起こして、稲が枯れてしまうという状況の中で、集落の人が苦労して空沼岳まで行って水をもらうという民間説話である。そこには移住開拓民の状況が伝説として生成されていることを物語っている。

阿部敏夫「北海道民間説話<生成>の研究 伝承・採訪・記録」2012 共同文化社
参考資料・情報など
北海道民間説話<生成>の研究 伝承・採訪・記録
阿部敏夫「北海道民間説話<生成>の研究 伝承・採訪・記録」2012 共同文化社
現地確認状況
未確認
その他
場所は特定できないが、藤野から登り、常盤に下りたということで、今は林道が通っている万計沼の可能性が高いと考えられる。
更新履歴
2016/10/01 記載