茂辺地の海岸に流れ着いた木像の話
向きを変えた天神様 -茂辺地-
今からざっと六百三十年も昔のことです。
茂辺地の海岸の波打ちぎわに大きな赤松の切株が一個、波の間に間に、プカリ、パシャリと、浮き沈みしていました。
そばを通りかかったシタカベは、ふとこの切株に目をとめると、何かが乗ってでもいるように見えたのです。
「何だろう? 木のこぶしにしてはちょっとおかしいな……。」
シタカベは、何か気になって、ジャブジャブと波をこいで切株のそばに行って見ました。
「ははあ、おかしいと思ったのは、これだったのだ!」
シタカベは、切株の株と株の間にはさまれていた六十センチ程の木像を抱きあげました。それは、仏像のようではないですが、どことなく神々しい気がして、そのままにしておけず持って帰ってみんなに見せました。
みんなは、「これは、我々を守ってくれる神様が、海の向こうから来てくれたのだ、大切に祭ってあげようではないか。」
と言うことになり、何はともあれ、小さな祠を建ててみんなでまつることにしたのです。
そして、神様がお着きになった浜だからと、この村あたりを、カムイヤンケナイと、呼ぶようになったのです。カムイと言うのは神様のことです。
さてそれから数年たって、村人たちの間に祠を建てかえたいと言う話がもちあがり、さっそくみんなが集まって、お社に作りかえたのです。
柱を建て、屋根をふき、人々はわき目もふらずに働きました。社は、みんなにおがまれるようにと、道路に向けて建てられました。
これでよし、これでよし、明日はいよいよご遷宮(神様を移すこと)と言うことで、みんな楽しみに帰っていきました。
そしてその翌日の事です。三三五五集まってきた人達は、びっくりぎょうてん、あいた口がふさがりませんでした。
たしかに、たしかに道路にむけて建てたはずのこのお社が、一晩のうちに、くるりと反対を向いているのです。そんな馬鹿な……と思ってもこの仕末です。
みんなは何とかもとへ戻そうと、縄だ、てこだと、色々やってみましたが、ビクともしません。もてあましている所へ、一人の老人が通りかかり、
「これは、このままにしておくがよい、多分神様のおぼしめしであろう思うに、神様はもと、津軽の平野あたりから参られたものとおもわれる故、その地の事も、お気にかかるのであろう。これは、そのままの方がよい、よい。」
と、言ったのです。
村びとは、なるほどそうかと思い、このまま、ご遷宮をすませたのです。
この後、このお社は火災にあい焼けましたので、再び建立した時、同じようなことが、もう一度あった、と伝えられています。
(北海道口碑伝説)
009_北海道口承文芸研究会編「北海道昔ばなし 道南編」