#024 / 洞爺湖の蛇神

アイヌ伝説。洞爺湖に住むオヤウムカイという羽の生えた毒蛇が住んでいたという

住所
虻田郡洞爺湖町
緯度、経度
42.603142, 140.850813
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

えぞのてぶり

この山かえに湖水(洞爺湖)があり、その湖中にある中島が四つ五つも見えた。この水に見尋(十五、六尺)にあまる水鮭(あめます)がすんでいるという。このトフ(洞爺湖)の親島(中島)には大蛇がすみ、小さい島には蛇(トコカムキ)がすんで、ヘビ島の名がある。兎の多く住んでいるのをうさぎ島という。みなそれに蝦夷椴が生え、ほかの木も茂っているという。

菅江真澄 / 内田武志・宮本常一訳「菅江真澄遊覧記(2)[全五巻]」1966 平凡社
由来2

北湯沢の天狗岩


アイヌ人のいい伝えの中で、ポイヤウンペという人は、アイヌ人の中で一番の英雄、ということになっている。

そのころ、といっても、これもむかしのむかしのことなんだが、そのころ、ポイヤウンペは気まま気楽に北海道中を旅していた。

寒い時は暖かい噴火湾や松前の方に行き、暑い時は摩周湖や大雪山の方に行ったり、気にいったところにはゆっくり滞在、あまり好きではないところは早々に発ち、と云った具合でのんきなものだったが、どこへ行っても尊敬された。

ポイヤウンペはりっぱな人間だった。その上、ちからは神わざのように強く、知恵はそのカッコいい頭にギッシリつまっていると見えて、どんなむづかしいことにも立ちどころすばらしい考えを出した。

悪者はやっつけて、可愛想なものはすぐ助けてやったから、ほんとに英雄だった。


ある日、北海道をつくった神サマのコタンカラカムイがポイヤウンペに云われた。

「もう、わたしの仕事は大方終わったよ誓い内に妹を連れて天上に帰ろうかとおもうんだ。

ところでおまえ、トーカラカム(湖つくりの神)のつくったキムントーにまだ行ってみないだろう。すばらしい湖で、いろいろおもしろいこともあるよ。何せ、ニッネカムイ(魔神)がいろんなものをつくったからね」

そうきくと、ポイヤウンペは、にわかにそのキムントー(洞爺湖)にいってみたくなった。

何日か旅をしてキムントー(洞爺湖)に着いてみると、なるほどきれいな水が満々と波立っている。山や荒野ばかり歩いて来たポイヤウンペにとっては目の覚めるような眺めだったが、眺めはいいもののここにはとんでもないものが居たのだ。

オヤウカムイと云って羽の生えた蛇の神で家来が沢山いるらしい。

この蛇の神は、後になって洞爺湖の中に中島が出来、その中島に湖の守り主が住むようになってkら守り主の剣で退治されたが、そのころはまだ中島も出来ていないし、蛇の神が退治される前だった。

ポイヤウンペはある日、姿をあらわした蛇の神をみて「ははあ、神サマの云われた、おもしろいもの、というのはこれナ、これやアひと働きすることになるナ」と、覚悟をしたが、それは間もなく始まった。

ポイヤウンペはただひとり。

蛇の神は家来の、羽のある蛇神六十と羽のない蛇神六十をかり集めてポイヤウンペに立ち向かってきたのだからすさまじい。

湖の水は煮えたぎるように波立ち、まわりの草木は、逆立ち、横なぎ、お陽サマは黒雲にさえぎられて、雨は土砂降り、とどろくかみなり、そのスゴイ中でポイヤウンペは鬼神のように戦った。

しかし、人間ひとりに百二十の蛇神ではあんまりちからが違いすぎる。

蛇神の吐き出す熱でからだ全体焼けただれたポイヤウンペは命からがら逃げて、やっと蛇の神からのがれ、壮べつ村にある滝のそばにたどり着いた。

二、三日の間、滝の水で冷やしていたが、そこから遠くないところ(いまの大滝村北湯沢)の山の中にわき出しているあたたかい湯に入ると焼けただれたからだが治る、と、滝の神に教えられてすぐ北湯沢に入った。


滝の神が教えたとおり、山の中のくぼみにお湯がこんこんとわき出ていた。その中にからだを入れるとたいへん気持ちがいい。

一日、一日、と、焼けただれが治ってゆく。

時節は真夏だから、草の根、木の果てはいくらでもあり、気持ちのいいお湯に入る毎日にポイヤウンペの毎日は極楽のようなもの。

「だが、こう、からだが快くなってくると少したいくつだぞ」

そんなことをおもうある日、湯つぼからあがったポイヤウンペはそこに、人間が、サラネップ(かご)にトレップ(ウバユリ)をいれたのをうでに引っかけて立っている若い娘がいるのに目をみはった。

「いやア、私はあやしい者ではないですよ。キムントー(洞爺湖)でえらい目にあってね、からだじゅう焼けただれたので、ここで治しているところです」

と、いうと、蛇神と勇ましく戦ったえらいひとのうわさはもうここまで聞こえていたから娘はすぐうなづいた。

家はすぐこの山のかげだからぜひ来てくれ、という娘のことばに、ポイヤウンペはその家に行った。

親たちが、えらいお方のお出でをよろこんでもてなしたのはいうまでもない。


ある日、山かげの湯つぼから帰ってくると、娘とふた親が泣いている。コタン(村)の者も、五、六人、心配そうな顔を寄せている。

この山の奥の奥にひとりのキムンアイヌ(山男)がいて、人間の十倍以上大きい上に、どんな大熊でも手づかみでひとひねりのちから持ち、それに走るのも早くて足が地面につくのが見えない。

ところがっこの山男、喰べるのには困らないらしく年に一度コタンに出て来ても別に暴れもしない。

ただ、タバコがたいへん好きで、一年中吸うだけのタバコを供えるとおとなしいく帰って行ったのだが、ことしはたいへんなことになった。

タバコだけでなく、ヨメが欲しくなったから娘を出せ、と、いう命令。

娘を出さなければコタンの人間をみなごろしにする、と、いう難題だった。

ポイヤウンペはからだももうほとんど治っていた。きいてみると山男の出てくるという日までだいぶある。

「心配しなさんナ、まあ、わたしに任せておきなさい」

そう云ってポイヤウンペはコタンの者五人を連れて、日高の国へ行った。

そこで、シカトルキナという草をしこたま刈って、天日に乾し上げたのを六人で背負えるだけ背負って北湯沢に帰った。 (この草はいまでも日高地方に生えているらしい、といわれる) 草はなお乾しておいて、こんどはみんなに白い土を探して採って来らせ、その土で娘とそっくりの形をこしらえあげた。 それから、コタン(村)にある酒を全部集めさせて、口の広い容れものに入れたのをいくつもつくった。 これで容易は全部でき上がり。


いよいよ山男が出て来る日になった。

ポイヤウンペはみんなに指し図して、去年タバコを供えた辺りに壇をつくってお酒を供え、イナウ(木の御幣)を立てて神サマにお祈りしてから、娘の形につくった泥人形を壇の上に寝せた。

それから壇の前に、日高から採って来た乾草を一面に厚く敷きつめた。そして酒の容れものは壇の前に並べて。


みんなが手に手に火打ち石を持って木のかげにかくれていると、やがて山からゴーッと風が吹いて来て、はや、山男が壇の前に。

大きな鼻を動かしていた山男は、容れものの中に頭ごと突っ込んで酒を呑み始めた。

全部呑みおわったらしい山男が立ち上がって壇の上の泥人形に手をかけようとしたとき、

「ソレッ」というポイヤウンペの合図でみんないっせいに走り寄って、枯草に四方八方から火をつけた。

山からは風が吹きつけてくる。

よく乾いているシカトルキナの乾草はメラメラと燃え上がって、祭壇と山男を煙が包んだ。

ポイヤウンペとひとびとは離れた風下で、息をつめて、でも、ゆっくり見守った。

やがて火が納まった。

ポイヤウンペがまっさきに走り寄ったが、

「アハハハ」と愉快そうに天を仰いで笑っている。

怖わ怖わ寄って行ったひとびとは、

「こりゃ、こりゃ」と、目をパチクリ。


山男はシカトルキナの火に焼かれ、煙にいぶされて大きな岩になっていた。

祭壇は焼け落ちていたが、泥人形はまっ白いまま形も全然くずれていなかった。


人形を祭壇にまつって、歌ったり踊ったりのよろこびが三日三晩つづいた。

たいていのお話はここで、ポイヤウンペと助けられた娘が結婚してめでたし、めでたしになるのだが、ポイヤウンペはそうしないでまた旅に出て、いく先々で人を助けた。

しかし娘の家では、ポイヤウンペの来たころになると毎年おまつりをし、泥人形は家のお守りとして長い長い間大事にしていた。

「山男っていうのはきっと天狗だったんだべ」と、人がいうようになってからその岩を天狗岩、と呼ぶようになったという。

森野正子「北海道昔話」1970 山音文学会
由来3

洞爺湖の主が竜蛇

竜蛇というのは、アイヌの神話伝説によく出てくる怪魔で、俗名をホヤウ(樺太方言でホヤウは蛇の義)、神名をラプシヌプルクル(翅の生えている魔力ある神)と称せられ、大蛇に翼の生えた姿に考えられている。蛇の通有性として暑い時はひどく元気で活躍するから、暑中や日の傍ではうっかり名を言うさえ恐ろしいこととされている。それでサクソモアイェプ(sak-somo-oye-p 夏には言われぬ者)とも綽名されえいる。そのかわり寒さには弱くて体の自由はきかない。それで火を焚け火を焚けとしきりに催促しているのだ。

知里真志保 編訳『アイヌ民譚集』(岩波文庫)1989
由来4

アイヌの英雄ポイヤウンペ(小内陸人)が洞爺湖にいたとき、翼の生えた蛇の神が彼を苦しめるので、壮瞥の滝の神にかくまってもらったが、それをねたんだ蛇の神は仲間を集めて二人を攻め、滝の神はついに攻め殺され、ポイヤウンペも全身焼けただれてかろうじて石狩に逃れ、浜益の黄金山に難を避けたという。この翼の生えたオヤウカムイという毒蛇の神は、流行病を追ってくれるとも言われている。

更科源蔵 安藤美紀夫『日本の伝説(第Ⅱ期)全12巻 17 北海道の伝説』1977 角川書店
由来5

湖水の神々

日高から西部の湖には、サクソモアイェプ(夏に言われぬ者)という、翼の生えた蛇体がいるといわれ、胴体は俵のようで頭と尾が細く、鼻先がノミのように尖っていてこれがぶつかると、大木でも伐り倒されたり引き裂かれたりする。全身漆黒色で目の緑と口のまわりが赤く、ひどい悪臭もあって、これの棲んでいる近くに行っても、またその通った跡を歩いてもその悪臭のために、皮膚がはれたり全身の毛が脱けおちてしまう。うっかり近寄ると焼け死んでしまうとおそれられ、ラプシヌプルクル(翼の生えた呪力のある神)とかラプシオウヤウ(翼のある蛇)、あるいは沙流地方の神謡ではホヤウ(蛇)とも呼ばれている。洞爺湖の主はこの蛇体であるという言い伝えが昔からある。

(中略)

このようにして蛇は巫女にのりうつって、託宣が行われるのである。洞爺湖に近い虻田部落では、昔疱瘡がはやってくると洞爺湖畔に逃げると、疱瘡神はこの蛇神(ホヤウカムイ)の悪臭を嫌って追って来ないともいう。 元来アイヌの信仰の中で蛇は天上にいたが、火の神が好きで、火の神が天上から雷光に乗って天降りるとき(落雷)一緒に地上におり、その勢で地上に大穴をあけたので、蛇はその穴に棲むようになったという説話は、空に描く雷光に蛇体を想い、また湖から立ち昇る竜巻きに、翼ある蛇を想像したかもしれないと思う。あるいはこの翼ある蛇は西南部だけで、東北部にはないということは、ことによると日本説話の影響かもしれない。

更科源蔵『カメラ紀行 アイヌの神話』1967 淡交新社
参考資料・情報など
菅江真澄遊覧記(2)[全五巻]
菅江真澄 / 内田武志・宮本常一訳「菅江真澄遊覧記(2)[全五巻]」1966 平凡社
北海道昔話
森野正子「北海道昔話」1970 山音文学会
アイヌ民譚集
知里真志保 編訳『アイヌ民譚集』1989(岩波文庫)
日本の伝説(第Ⅱ期)全12巻 17 北海道の伝説
更科源蔵 安藤美紀夫『日本の伝説(第Ⅱ期)全12巻 17 北海道の伝説』1977 角川書店
カメラ紀行 アイヌの神話
更科源蔵『カメラ紀行 アイヌの神話』1967 淡交新社
現地確認状況
確認済み
その他
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更新履歴
2016/10/01 記載
2021/12/14 由来3、4、5追加
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