#019 / 石狩弁天社の鮫様像

像は、金泥に塗られた台座上に、鎧を着け亀の背に乗った「妙亀」像と、衣冠束帯で鮫の背に乗る「法鮫」像の2像で構成されている

住所
石狩市 弁天町18 石狩弁天社
緯度、経度
43.247634, 141.353095
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

北海道指定有形民俗文化財

・石狩弁天社の鮫様は、文政8年(1825)に石狩場所の元小屋支配人であった山田仁右衛門が奉納したものです。

・この像は、金泥に塗られた台座上に、鎧を着け亀の背に乗った「妙亀」像と、衣冠束帯で鮫の背に乗る「法鮫」像の2像で構成されています。この2体で構成される本像の名称は、「妙亀・法鮫」の他に、「妙鮫・法亀」と呼称されることもあります。

・石狩場所請負人であった村山家が作成した「妙鮫法亀大明神由来」によれば、文政元年(1818)、石狩場所関係者の夢枕に石狩川の主とされる巨大な鮫と亀が現われて祭祀を依頼したことから、祠が建立され、続いて文政8年にこの妙鮫法亀大明神の像が奉納されました。以後、場所関係者などにより祀られ、現在も地元漁業者の信仰の対象となっている。

・鮫は、石狩地方のアイヌの人たちの伝承に見える「石狩川の主」としてのチョウザメと結び付くものと考えられ、アイヌの伝承と和人の信仰が混淆した北海道の特色ある様相を呈しています。

・なお、厨子には墨書がありその由来を知ることができます。このことから、これを付とします。

石狩弁天社の鮫様(妙亀・法亀大明神像) | 文化遺産オンライン
由来2

■ 右三体 左から 画像

・ 毘沙門天 七福神

毘沙門天と十三童子像・ 鮫様 妙鮫法亀大明神 1825(文政8)

亀 : 妙見菩薩の神使

鮫 : チョウザメを神格化

アイヌの伝承と和人の信仰とが結びついた独特の文化

「妙亀法鮫大明神石額」画像画像 1838(天保9)・ お札 石狩場所守護御札 龍澤山 善宝寺

山形県鶴岡市 曹洞宗善宝寺 (竜神様のお寺) より

海の守護として漁業関係者に信仰されている

石狩には,弁天社のほかに,稲荷社,亀鮫宮,竜神宮などの社があった。

1855(安政2) 弁天社,稲荷社,亀鮫社を一社に合祀。

その後 竜神社も合祀

石狩弁天社
由来3

この記事は松浦武四郎の安政3年(1856)の紀

行録「丙辰日誌 按西扈従 巻の九」(以下,「丙辰

日誌」6にある,次の記事によっている.該当部分

の前後を「巻の十」も含めて引用しておく.

「(井口注=小樽の方から浜伝いに来て)

   弁才イタイウシ 砂浜

   ニイキリ

此処烽火台有。砂浜通りしばし行岡の方へ上り、

左の方川口なり。此処にて

   ベツブツ

と云則石狩の川口也。昔年見しより左、運上屋と

勤番所は浜手によりしによって其故を問ふに、嘉

永亥七月七日より廿日迄雨にて出水致し、建物不

残流れ、漸々去年普請に成りたり。然し其場所は

少し此処より高き様に覚ゆまゝ是へ上げたりと。

此処に七不思議と云もの有て、此処は洪水の節に

運上屋は水が著ざると云事も其七ツの一なりし

が、此一つは左もなかりし也。惣流れに流れたる

とて一同一笑致し、魚見の下を廻りて着したりけ

る。

……

(巻の十)

   石カリ運上屋

此処本名はベツブツ則川口と云事なり。……

元運上屋の有し処の字は其より少し上なるトクヒ

ラを以て其字とするなり。

……

運上屋一棟(梁八間、桁廿四間半)、是を元小屋

と号く。……

武器蔵一棟……、勤番所一棟……、……

神社、弁天社、稲荷大明神、並に妙亀法鮫と申此

川の霊を合せ祭り、其傍に竜神の社有。各近年の

普請にして見事なり。……」

(下線=井口)

  つまりイシカリ運上屋は嘉永4年(1851)の洪

水によって流され,以前の場所より川下(海側か

ら見て左手)の海側に寄せて再建し,辨天社など

も近年普請した,という.

(中略)

「丙辰日誌」では「傍に竜神の社」とあり,離れ

た1社が何かはやや疑問も残っているが,ここで

は絵図に従ってみた.

いしかり砂丘の風資料館紀要 第6巻
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未確認
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更新履歴
2016/10/01 記載
2017/02/17 由来2、由来3追記
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