夢枕に立った龍神様のお告げにしたがい神社境内に奉祀した龍神石
烏帽子岩と龍神石
[烏帽子岩]
1889(明治22)年春、三ツ谷八幡神社旧鎮座地で拝殿の工事を始めたところ、基礎の中心部から烏帽子に似た岩が掘り起こされました。工事の当屋であった網元・若木幸作は神主や村役家と相談し、「烏帽子岩」と命名しました。
このような岩を取り壊すと神の怒りに触れてしまう、そして産土神八幡様(うぶしなかみはちまんさま)が氏子の守護と豊漁を授ける前兆として岩が姿をだしたものと信じ、網元仲間や村人の協力を得て沖揚音頭の掛け声とともに急坂をこえ、奉納したといわれています。奉納以後ニシンの郡来も繁く訪れるようになったそうです。
[龍神石]
明治初期の春、当時の名主で大家である笹谷吉衛門氏の建網にニシンと共に乗った石だそうです。この石について、笹谷氏の夢枕に龍神様が立ち「我は龍神なり。網に乗った石は我が化身である。
之を祀ることによって汝の家運繁栄し、三ツ谷村中に永く豊漁を授けるであろう。」と告げられました。彼は、村中の網元と相談し、龍神石と命名し神社境内に奉祀することにしました。
烏帽子岩と龍神石 | 檜山振興局産業振興部商工労働観光課
竜神石
竜神石明治のはじめ4月頃、当時名主で大家の笹谷吉衛門氏の建網にニシンと共に乗った石である。
伝えるところによると、日ごろ信仰する龍神様が同氏の夢枕に立ち、
「我は龍神なり。網に乗った石は我が化身である。之を祀ることによって汝の家運繁栄し、三ツ谷村中に永く豊漁を授けるであろう。」
と告げられた故に同氏は村中の網元と相談し、龍神石と命名し神社境内に奉祀することとなった。
烏帽子岩と龍神石:乙部町 | 函館・道南の歴史・伝説 | 遊ぶべ!道南探検隊
四十一話 三ツ谷の龍神さん
この龍神さんは、三ツ谷八幡神社境内に安置されている。角形をした畳一畳半もある大きな石である。明治二十五年ごろ、笹谷吉右衛門の鰊建網に鰊と一緒に乗った石である。吉右衛門は村の篤志家として、村政の記録に多く書き残されている。
吉右衛門はある時夢枕に、
「私は海の龍神なり。お前の建網に乗った石は、我の化身であるので、これを祀ることによってお前の家運は隆昌したい漁を援くであろう。」
と告げられた。
早速村の若者や網元の親方と相談し、ただ浜に置いておくのは誠にもったいないことだ。八幡神社に奉納し、家運の隆昌と村中あげて祈願すべきことであるとのことで、荒磯のうえも苦労ともせず、いろいろな段取りをして船を引き上げる方法で沖揚げ音頭や大漁祝歌などを歌い、ソーランソーランの掛け声もにぎやかに旧鎮座地にようやく奉納した。難所の多い崖や荒磯の多い海浜であったが、何の事故もなく順調に進んだことは、神の福運にちがいないと、この時は村をあげて龍神祭りを執行したのである。
毎年四月ごろ、そろそろ鰊が前浜に郡来が近づく頃、網元集はこの龍神岩の前でにぎやかに大漁祈願をしたのである。幻の魚と化した鰊もパッタリと途絶えた現代だが、往事の鰊景気でわいた三ツ谷の浜に、再び鰊が群来て、この龍神岩の前で賑々しく大漁祈願の祭りを夢見たいものである。
葉梨孝幸「おとべ百話 民話・伝説・史話」1999 乙部町史研究室
2017/5/13確認。八幡神社は八幡神社でも、違う八幡神社に到着してしまった。場所を聞いて車を走らせたが、これまた違う八幡神社に到着してしまった。 江差、乙部、熊石などの日本海沿岸には八幡神社も稲荷神社もとても多い。 車を止めて目に付いた神社を覗いてみると、そのどちらかであることが多かった。ということで、乙部八幡神社ではなく元和八幡神社でもなく、三ツ和八幡神社に到着。 高台にある神社の脇を流れる護岸された小川が神社脇の岩床に穴を開けて流れる滝が美しすぎなくて良い。 その穴からは護岸のコンクリートが見え、その水は少々生活排水の臭いがする。 階段を上がると念願の岩が二つ、案内板つきで鎮座していた。
2022年6月初旬、夜明け前に札幌を出発した。車を走らせ続けてすっかり日が昇った海岸線を運転し、カーブを曲がると見たことがある光景が飛び込んできた。左手の駐車場に車を止めた。そこは、神社の境内に龍神の岩と烏帽子岩を祀っている乙部町の八幡神社である。この日の予定には入れていなかったが時間に余裕もあったので迷うことなく立ち寄ることにした。 2017年依頼、再訪したいと願っていた場所が急に目の前に現れた。境内をうろうろし、久しぶりに烏帽子岩と龍神岩と対面した。カメラを手にウロウロして、最終的に神社横の高台に登って写真を撮った。高台から見える日本海はとても澄み渡って静かだった。 境内にある龍神岩は明治25年頃、笹谷吉右衛門のニシン漁の網にニシンとともに船に引き上げられた岩である。非常に大きくて数百キロはありそうな大きさ。当時のニシン漁のスケール感が伝わってくるようだ。右衛門の夢枕に龍神様からお告げがあって八幡神社に奉納することになったという由来を持つ岩である。 2022/6/14 記載