#009 / 喜茂別の竜神沼

移住者によって祠が建立され、遠くはルスツからも雨乞いに訪れた沼。

住所
喜茂別町 川上地区
緯度、経度
非公開
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

(1) 黒沼と竜神祠

字川上、国道230号線から少し北に入ったところに上・下ふたつの沼がある。これが黒沼で、5万分の1地図にも、ふたつの目のように並んで、はっきりでている。

上の沼の北端に祠があって竜神を祭っている。部落の人びとが集まって、春と秋にはお祭りを、ときには雨乞いをしたところという。

開拓のころ、一開拓者が沼に放したわずかなフナが、年々ふえ、いまでは遠い町からフナ釣りにくる人もおおぜいいるほど。鴨の大群が羽を休めることもある。黒沼はあきらかに噴火口に水がたまったものと思われるが、幽遂森厳、景勝の名にふさわしいところである。

喜茂別町史編さん委員会編「喜茂別町史」1969 喜茂別町
由来2

(1) 黒沼竜神(川上地区)

この黒沼竜神については、現地を探索した前田克己が「ヌプリ」一号(喜茂別郷土研究会)に、当時(昭和四一)の現地の様相などについて、詳細に報告している。

文中、黒沼竜神の由来について(高岡義作談)は、次のように述べている。

大正八年(一九一九)、当時、黒橋に居住していた佐藤宇吉は、沼のほとりで大蛇を見たという。しかも度々見たという。当時の沼には魚一匹も住んでいなかったから、大魚を見誤ったとは思えない。いずれにしても気味も悪いし、ほうって置けないから、水に関係のある竜神を祀ろうという相談がまとまって、駅逓の三上氏等が中心となり、黒沼竜神としてお祀りしたのである。その後、どこからともなく、旱ばつの時、雨乞いをすれば霊験があると伝えられ、遠く留寿都・真狩方面からも、太鼓を打ち鳴らしながら多勢の人が集まるようになった。昔は手豆の竹立てのころ、旱ばつがあって困ったことがある。上の沼は約三反(約二九.七アール)、下の沼は七~八反くらいの広さと言われていたが、下の沼は近年、道路の改修で水を干したため、昔の面影はなくなってしまった(略)。

この沼の位置は、国道二三〇・黒橋から約一.五キロ栄地区の方へ下った所、国道から山側に約二五〇メートル入った所に上の沼がある。龍神祠堂は沼の北側にあり、七~八〇センチメートルほどの高さの石造りの小祠である。割栗石を一段だけ一間四方くらいに敷いた上に置いてある(前田克己記録)。

祠堂の側面に建立関係者の氏名が、刻まれている。

左側面 氏子総代・三上末吉 取締・三上喜六

発起人・牧野 一 佐藤宇吉 阿部寅吉 岡本喜平

菅野留治 山岸庄作 山本竹治

裏面 小泉芳蔵 長南包次 佐々木 勇 田?五郎

柳沢秀次郎 及川茂七

右側面 倶知安村・□泉正次 佐藤?太郎

荒 小三郎 東□□作 東□□ 樋□七五郎

清水市作 大正八年九月廿五日

祭典は、七月末に栄地区の有志が行ったといわれる。

喜茂別町史編さん委員会「新喜茂別町史」1997 喜茂別町 pp.510, 511
参考資料・情報など
喜茂別町史
喜茂別町史編さん委員会編「喜茂別町史」1969 喜茂別町
新喜茂別町史
喜茂別町史編さん委員会「新喜茂別町史」1997 喜茂別町
北海道縁起物語
小林成光「北海道縁起物語」1992/5/1 有限会社 小林興業社
現地確認状況
確認済み
その他

2018/10/06に再訪。2年振りか。前回はNさんと春に一緒に訪問したが今回は一人で行ってみる。台風の影響が心配だったが中山峠は穏やかだった。 前回注射した付近の入り口は工事中で戸惑ったが、近くの別の場所に無事に駐車できた。虫よけスプレーをふりかけていざ沼を目ざす。 長い冬で笹が雪の重みでつぶれているので歩きやすい春先が前回の季節だったものの藪こぎがとても辛かった。 今回は秋ということで前回にもまして草に腰があって前進する体全体にからみついてきてなかなか進めない。 登り坂の藪こぎでかつての踏み跡もほとんど見つけることが出来ずに力任せに強引に笹をかき分けて進む。熊の気配が濃いのでラジオをAMに合わせ音量を上げる。 チャンネルがあえばなんでもよかったので気にしなかったが、登り道ずっと中国語講座を聞きながらの道のりとなった。ラジオと笛と鈴を鳴らして笹をかき分け続ける。 翌日台風が上陸する予報だったこともあってか、気温はこの時期にしては低かった。登り始めは体がひんやりしていたが、徐々に体が温まり、目的地に着くころにはすっかり汗だくになっていた。 汗がブヨを呼び、いくら虫よけスプレーをかけても勢いはおさまらなかった。

一つ目の沼を過ぎて、さらに笹をかき分けて藪こぎすると目的地の黒沼に着いた。無事にたどり着けたことに胸をなでおろした。 祠は対岸の大木のふもとにある。そこまでもう一息。最後の道のりだけはかつての踏み跡が僅かに残っている。どれほどの人がこの道を通って祠のもとに通ったのだろうか。 前にもまして傾いた気がするものの、石造りのこじんまりしたそれは静かに沼の脇にあった。手を合わせるがブヨの勢いに負けてしまう。 前回は帰りの車の中でNさんにダニが着いているのをみつけてあわてて車の外に投げ出したが、今回は足首をブヨにたくさん刺された程度でダニは大丈夫のようだった。

辺りは秋の気配が見られる。あと数カ月もすればすっかり雪に覆われてしまうのだろう。その姿を見てみたいと思った。 カメラをセットしてそこから帰路まで撮影を続けた。数年前から徐々に撮るようになった動画も試した。 静止画と違って、動画は撮っている時間が長く、音も拾う。 その待ち時間に辺りから聞こえてくる音を聞き続ける。竜巻は起こらなかった。 遠くから幾度か枝が折れるような音が聞こえていた。音の正体は何かはわからなかった。 沼の出口にあるかのような2本の大木と、沼の中心線を表しているような垂直に立つ広葉樹は前回と何も変わらずあった。 全体的に水草が浮かんでいるようにみえたところからも沼がさほど深度がないことがわかった。 この先、また沼の姿を見ることがあるのだろうか。この沼の姿をこの先どれぐらいの人が見るのだろうか。いつまでもこのままの姿であってほしいと思った。

帰路は一貫して下り坂、幼少のころから父親に連れられて歩いてきた体に染みついている藪こぎの方法も思い出し、上から踏みつけるように笹を倒して前方に道をつくりながら、 ゆっくりと周囲を確認しながら藪を漕いで下りふもとに向かった。もう熊の心配もいらないことで体がますます軽くなった。 最後の斜面が斜度のキツイところを選択してしまって肝を冷やしたが、密集している笹が幸いして無事に下ることができた。 2時間ほどの時間は他では味わうことのできない濃密な時間だった。Tシャツは汗で濡れていた。

体をその場所に運び、その場所を経験することによって、言葉にはなりえない感触が産まれる。 そこで押したシャッターから何かが伝わり、何かが写真に写るのだろうか。 (2018/10/06)

※調べてみると前回いったのは2016/5/21だったので2年と半年ほどたっていた。

更新履歴
2016/10/01 記載
2017/02/07 由来追記
2018/09/30 写真掲載
2018/10/06 その他追記
2019/03/14 由来2追記
2018/09/30
2018/09/30
2018/09/30
2018/09/30
2018/09/30
2018/09/30
2018/09/30
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