#002 / 真簾沼 龍神観音像

札幌市南区 空沼岳中腹に佇む真簾沼(まみすぬま)にある像。

住所
札幌市南区簾舞 真簾沼
緯度、経度
42.875925, 141.245637
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来1

第二節 厚別地域の語り

(1)雨乞いの話

もう十二、三日天気が続いたら、川に水がだいたい流れないのですね。川がかわいちまって。それでもう皆んなが「雨乞いに行ってくるべ」という具合になり、それで「どこがいいんだ」と言ったら「空沼だ」ということになった。そうして、あん時、俄に思いついて空沼(岳)へ雨乞いに行ったんです。

そんなに火を焚いてお祭りするとかなんとかいうもんじゃなくて、ほんの簡単なものだったね。それでも誠心誠意、あの時だけはやっぱり真剣になってお参りして来ました。

一升を持って、苦しい時の神頼み、もうこれで何とかして雨降ってもらわなかったらという気持ちだったね。あの時は、先ず七人だけだったのですけれど。農協まで行って、何とかして雨乞いに行きたいと思っているので車を出してもらえないのだろうか? と言ったら、「いや、とっても人などつけて歩いていたら罰金とられるから駄目、駄目」と言ってもうなかなかとり合ってくれなかった。そこで、月寒の弾薬庫の連中にお願いして行こうかということになって連絡取ったが、なかなかおいそれと、今すぐ行くんだというのには間に合わなくて。すぐまた農協に舞い戻って、こういう訳だと話したら、西田さんという人が車出してくれて豊平まで乗せて行ってもらった。あれから向こうはやっぱり街に入るというとやかましいから、そこで降ろされて、電車で豊平の駅から藤の沢まで。そして藤の沢から登ればあんまり急でないから楽なんでないかということになった。その時、坂下さんという人に一升背負ってもらって、あの人が一番若かったと思うのです。それからずーっと行ったらもう夕方になってしまって、空沼(岳)で一升持って行った奴を飲んじゃって、その空瓶に沼の水を貰って来ちゃった。

木の倒れた奴があったんで、その上へ並べて、もう玉子と酒だけで、茹玉子だった。それも、竜神様は玉子が好きだからと、ちょうど下村さんが気をきかせてくれて茹でた奴を持って来てくれた。

竜神さんは、「そんな茹でたのは好きでねえんではないか」「生がいかったんでないか」「折角これしか持ってこなかったんだから、まあまあ気持ちだけは?」ということになり、そこでお参りして、そしてそのお神酒を、勿体ないと、一杯やって来まして、それを皆んなで飲んだんですね。そして、玉子はあの沼の中に投げ込んで、もうその時すでにガスがかかって来て、雨乞いの気がしたんです。

水を空沼から貰って、それをまた坂下さんに背負ってもらって、今度は常盤の方に降りて、もう本当に藪になってしまっていて、手さぐりで下まで下がって来たのは良かった。けれども……。またそこから歩くのは大変だと、ちょうど常盤の入り口の所に店があったんで、その店から三輪車を出してもらってそれに乗った。そして、あの当時、道会議員だった岩本さんに厚かましかったけれど行って頼んでみよう、何とかしてくれるだろうということになり、そうしたら心配して乗せてもらった。その時、厚別って言ったんだけれども、運転手さんはアシリベツの方ばっかり考えていたものだから、アシリベツの方へ連れていかれて、家に帰ったのはもう夜中でした。

(語り手・南出龍信 昭和五十七年四月採訪)


(中略)


第二節(1)の話は、一九五〇(昭和二十五)年の話である。この「雨乞いの話」には、後日譚がある。雨乞いに行った翌日は、からっとした天気で、その日はちょうど連合町内会の運動会であった。体中が痛く「しんどかった」と言っている。そして、翌々日、確かに雨が降ったと語り伝えている。また、札幌市空沼岳の沼から持って来た一升瓶の水をコップに入れて、一杯毎水田に播いたとも言う。「いや、それは水田に播かないで川に流すのだ」と言い合ったとも伝えている。六月の田植えの時期、熊の沢の人々にとっては、特に水の問題は土地柄深刻であった。雨が降らないと水田が地割れして大事な稲作が駄目になり、その一年は苦しい思いをしなければならないので、雨に対する思いがより強かった。

すなわち雨乞い伝説は、本州の雨乞い習俗の影響を受けて生成されたものである。火山灰地の上に造り上げた水田のために、湧水や雨水が涸れ、土壌がヒビ割れを起こして、稲が枯れてしまうという状況の中で、集落の人が苦労して空沼岳まで行って水をもらうという民間説話である。そこには移住開拓民の状況が伝説として生成されていることを物語っている。

阿部敏夫「北海道民間説話<生成>の研究 伝承・採訪・記録」2012 共同文化社
「北海道民間説話<生成>の研究 伝承・採訪・記録」 pp. 207,208,209
由来2

② 水源を守るための雨乞い

西岡水源地の水利権は、周辺の農家の人たちが組織する組合にあったので、水源確保にひと苦労しました。夏の渇水期は水源が枯れたら一大事ということで、昭和32年に町内議員や西岡福住地区水利権組合の人たちと龍神様を祀っている空沼岳に登って雨乞いをしたことがあります。そうしたら雨が降ってきたのでご利益があったと喜んだものです。水田では水が欲しいし、月寒水道でも住民の生命がかかっていますから、みんな真剣でした。

月寒資料発掘会「つきさっぷ歴史散歩」2005 道央印刷産業株式会社 p. 51
由来3

用水路と共にあった空沼の石の竜神様は、以前から真駒内下町の根本さんたちが、講をつくり、屋根をかけて祀っていたので、根本さんにそのまま引き継いでもらった。それともう一つ、はじめ水車町の取水口にあり、のちに東橋の上流の取水口に移した竜神様は、米里の武田義博さんがそのまま引き継ぐことになった。

澤田 誠一「平岸百拾年」 1981平岸百十年記念協賛会 p. 494
由来4

本年(※昭和五年)五月より八月に至る渇水は(不明)年来のことにして、組合水田の灌漑上非常の困難を生じ役員一同不眠不休全力を盡したるも水量不足の為、除草不能に陥り或は五分作を傳ふる等役員組合員の苦労は一方ならず遂に組合有志は六月並に七月中両度真駒内奥空沼に登山雨乞の起勧をなし漸くにして慈雨あり、この未曾有の日照にも水争い等の事故なかりしはまことに喜ぶべきことなりき、八月に入るや雨足繁くなり、二十日前後の大雨にて増水のため各河川氾濫し、組合内橋梁水路の破壊するもの多く下流米里付近の水稲は増水のため被害を受け、破損個所の修理と共に応急措置を講じたり。

一.真駒内川水門龍頭観音勧請に付組合代表として福島副組合長外四氏出張し芳賀諦観師となり開眼供養を為す。

※カッコは筆者

福嶋利雄「札幌市豊平外四箇村聯合用水組合沿革誌」1943 札幌市豊平外四箇村聯合用水組合 pp. 52
由来5

三.作付概況

(※昭和十二年) 米作については苗の発育早く良好なりしも、暫く冷気々分乃泥負虫の発生ありて一時杞憂されしも、間もなく高温に復し発育も完全と思ひしに七月上旬より又渇水に遭ひ何十年振にて全区域に時間灌漑の統制を実施したると、組合員七十余名組合長指揮の下に、石山土場御神奥空沼嶽に竜神一体を勧請し雨乞の祈祷をなす等例年に見ざる導水上多大の苦心の結果作柄は概して良好なりしも多少水不足の被害は免れざりき。

※カッコは筆者

福嶋利雄「札幌市豊平外四箇村聯合用水組合沿革誌」1943 札幌市豊平外四箇村聯合用水組合 pp. 84
参考資料・情報など
北海道民間説話<生成>の研究 伝承・採訪・記録
阿部敏夫「北海道民間説話<生成>の研究 伝承・採訪・記録」2012 共同文化社
札幌市南区 Webサイト
竜神塚
道新りんご新聞
道新りんご新聞
「札幌市豊平外四箇村聯合用水組合沿革誌」
福嶋利雄「札幌市豊平外四箇村聯合用水組合沿革誌」1943 札幌市豊平外四箇村聯合用水組合
平岸百拾年
澤田 誠一「平岸百拾年」 1981平岸百十年記念協賛会
さなぶり
東裏親交会「さなぶり」1980楡書房
つきさっぷ歴史散歩
月寒資料発掘会「つきさっぷ歴史散歩」2005 道央印刷産業株式会社
現地確認状況
確認済み
その他

空沼岳にはいくつもの沼が点在している水源豊かな山です。 空沼岳の登山道の少し高い湖岸の傍らに、気がつかずに通り過ぎる人も少なくないほどひっそりと静かに佇んでいます。 祠もなく雨ざらしの状態でそこにあり、立てかけてある看板の文字もほとんど読めないほどに劣化しています。

像から真簾沼を見下ろすと、木立の間から静謐な沼を眺めることができます。 季節によってその表情は様変わりします。初冬の、これから雪に埋もれる前の透き通った眺めが今も目に焼きついています。 真簾沼には、かつて御神体を運び雨乞いが行われた歴史があります。 その場所に立つと、人々の眼差しの先にあった祈りを垣間見ることができるように感じます。


阿部敏夫先生の著書から雨乞いの話を引用させていただきました。

藤の沢から登ったとありますが、もしかしたら現在の簾舞からのルートなのかもしれません。そうだとすると、たどり着いた沼は万計沼なのかもしれません。簾舞から空沼岳にアプローチしたことがないので、今年は行ってみたいと思います。

空沼が雨乞いの山だということは、4か村の水利組合だけではなく、札幌の近隣に知れ渡っていたのかもしれないと思わせるエピソードです。

(2019/3/9追記)

真駒内龍神観音像と関連深い
更新履歴
2016/10/01 記載
2019/03/09 由来1追加
2019/03/13 由来2、3追加
2019/03/14 由来4、5追加
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