#097 / 十勝の雨乞い1 然別湖の弁天島

然別湖の弁天島で雨乞い祈願

住所
然別湖の弁天島
緯度、経度
43.272267, 143.118180
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

水田は水不足で、ひび割れをおこし稲は黄色く立ち枯れの状況となり、万策つきた農家の人々は、然別湖に「雨乞い祈願」に出掛けることになった。上然 別の「諸般記載簿」には雨乞いをした記録が残されている。

その概略を述べると次の通り、


「大正14年7月7日、神社で雨乞い祈願。7月15日、然別湖に雨乞い祈願に出発、参会者下記の22名(氏名が記載されているが 省略)7月25日、沼の雨乞いお礼施行。7月31日、再び秋葉神社で雨乞いを実施した、午前6時に部落民は総出であった、青年達は木材を切りそれを割って 薪を作り、境内に山積みにして篝火を焚き、他の者は空罐、□(樽の旧字)を叩きながら、一心に雨乞い祈願を徹夜で続け、翌朝6時に解散した。8月9日、雨 乞いお礼部落全員参集」

と記され、いかに旱魃被害と農家の苦悩が大きかったかを物語っている。


また、この時の状況について昭和39年刊行の「西士狩史」によると、


「大正十四年の旱魃の年の八月二日、一行五十二名が雨乞いのため然別湖の弁天島に到着、龍神宮に参拝、持参の□(樽の旧字)に湖 水を貰い、□(樽の旧字)を通し二人づつ交替で持ち帰り、西士狩神社で一週間のあいだ、各区当番制で祈願をこめたところ見事に願いが叶えられ降雨があっ た。そこでこんどは、その水を然別湖にお返ししなければと、一週間目の八月九日、坂本浅吉を班長とする四人の者が雨水を無事弁天宮にお返しし、その夜は湖 畔旅館で一泊、翌十日無事帰村、酒二斗、みがき鰊一○把、糯米一俵を赤飯として参拝者全員に配って喜び合った」 と書かれている。

鹿追町史 農業
由来2

大雨による洪水とともに、雨が降らないことによる干ばつも、農業にとっては大きな痛手となります。

十勝でも雨不足が起きたことがあり、こうした時には、神に雨を願う「雨ごい」がおこなわれました。

昭和5年(1930)に池田町で行われた雨ごいでは、数人がみのを着て笠をかぶり、然別湖(鹿追町)まで水をもらいに行きます。地元に残った人たちは、丘の頂上で祈りをしてました。

然別湖から水をもらった人たちが大森(池田町)に着いたとたんに大雨になったといいます。

時をこえて十勝の川を旅しよう! (2) 水の神、灯ろう流しや雨ごい
参考資料・情報など
鹿追町史 農業
鹿追町史 農業
帯広開発建設部
時をこえて十勝の川を旅しよう! 第4章開拓期 |帯広開発建設部 (2) 水の神、灯ろう流しや雨ごい
現地確認状況
未確認
その他
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更新履歴
2016/10/01 記載
2017/08/14 由来2追加
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