虫の知らせ

#041 / 広尾町 十勝神社 流木龍神のご神体

シマウス海岸に漂着した流木が龍神の形のようだったところから、御神体として祀るようになった

住所
広尾郡広尾町 茂寄1-13
緯度、経度
42.290937, 143.310437
※あくまで目安であり正確な情報ではない場合がありますのでご注意ください
由来

 寛文6年(1666)6月福山藩主武田廣林の十勝国警衛の祈願社として領主蠣崎蔵人が創祀し、当時より刀勝大明神と称えて鎮祭していた。その後シマウス海岸に漂着した流木が龍神の形のようだったところから神体として祀るようになった。爾来漁業が豊かになり地方の崇敬は益々厚くなり、この流木に彫刻を加えて木像とした。その年月日は不詳であるが丈4寸余りの小像で聖徳太子に似ていたと伝えられる。寛政10年(1799)11月には近藤重蔵がエトロフよりの帰路、広尾・様似間の新道開発の記を献額している。明治7年開拓使社寺係取調の際広尾出張所派出14等出仕酒井忠郎が調査上申の末、同8年12月社寺係の通達により仏像及び仏具は悉く退け、同時に祭神を大海津見神と称号することとし、明治9年3月郷社に列せられる。同16年社殿の損壊に伴い改築及び鹽竈神社・稲荷神社の合祀を出願し許可される。同22年6月30日社殿が落成し、大正4年9月神饌幣帛料供進神社に指定される。大正5年5月移転改築が許可され同7年12月現在地に改築竣工し奉遷した。昭和20年県社に列せられ、昭和21年宗教法人となる。

合併により合祀された歴史をもつ御祭神

稲荷神社 保食神 天保6年3月16日創祀 明治21年5月合祀・鹽竈神社 塩土老翁神 安政7年2月創祀 明治21年5月合祀

十勝神社
由来2

同像を納めた厨子の表には「本地仏背後記文」と題して引用と同文が書かれている。 また、禅林寺年表には寛文六年六月のこととして、 「松前藩家老蛎崎蔵人が、主君の安泰を祈り、トカチ明神社に、円空作観音像一体をトカチ大明神本地仏として奉安す」 とあり(同『しおり』)、円空が松前藩家老に深く信頼されていたことがうかがえる。  ちなみに、十勝は蛎崎蔵人の「給地所」であり、十勝神社は蛎崎によってまつられた「十勝最古」の社である。 十勝神社の現祭神は大海津見神とされ、その前身の十勝大明神は「茂寄村シマウス海岸に漂着した流木」の形状があたかも「竜」に似ていたため、これを「神」としてまつったところから始まったようだ(「十勝神社参百年略誌」同社社務所)。

本地垂迹資料便覧:http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/honji/files/TOKACHI.html
参考資料・情報など
北海道神社庁のホームページ
十勝神社
本地垂迹資料便覧:http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/honji/files/TOKACHI.html
本地垂迹資料便覧:http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/honji/files/TOKACHI.html
現地確認状況
未確認
その他

津軽にも似たように漂着した流木を竜神さまに見立てて祠を作りお祈りした記録があります。 北斗市 向きを変えた天神様とも類似しています。 我々が今、その流木を拾ったとして、それは龍神様に見えるのでしょうか。それを拾ったらどのように扱うのでしょうか。 見るという行為は受動的ではなく、能動的に世界に寄り添うことによって可能性は広がるように思います。

※茂寄村にあるようだ、「十勝神社参百年略誌」同社社務所を確認しなければ

更新履歴
2016/10/01 記載
2018/09/08 由来2
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